『刻の邂逅』







――今宵も、どこかで運命の輪が動き出す。
――バネは動きネジは巻かれ、歯車が回転し輪が廻る。
――バネの名は舞台。ネジの名は脚本。歯車の名は役者。
――演目は「運命」
――今宵も、一人の観客もないまま、幕は静かに上がりゆく――








時刻は深夜。空は雲一つなく、中心には満月一つ。
今夜は何と、綺麗な晩なのか。
旅なれた彼であっても、思わず溜息を漏らしてしまうほどに。

「……」

夜の風が頬を撫でる。
…間もなく冬がやってくるぞと、風が告げていた。

「寒…」

ぶるっ、と身体を一つ震わせる。
出て来て早々に帰るのもなんだが、このまま風を引いては皆の迷惑になる。
そう思って踵を返し――

「今晩は、お若いの」

そこで始めて、一人の老人に気付いた。

「今晩は。いい夜だな、爺さん」

片手を挙げながら、気楽に声をかける。

「うむ。ここらは空気が一段と澄んでおるからのう。
 月や星がより綺麗に見えるんじゃろうて」

老人も、笑顔で応じる。

「…ところで爺さん、あんたは旅人か?」

「そういうお前さんは、旅の一族のようじゃな」

「ああ、ユバールって言うんだ、知ってるか?
 俺はそこの守り手なんだ」

ほう、と感心したような声を上げる。

「知っておるぞ。その歳で守り手とは、大したものじゃな。
 …といいたいところだが、まだまだじゃな」

「どういう意味だよ」

眉を吊り上げる。が、老人は好々爺めいた笑いを浮かべながら、言い放つ。

「いや何。自慢になってしまうが、ワシがお前さんぐらいの歳の時には
 魔法戦士として世界に名を轟かせておったものじゃ。
 …まあ、昔の話じゃから、今となっては誰も知らんのが、ちと寂しいがな」

…胡散臭い。
なので、じーっ、と老人を見ていると、老人は何を勘違いしたのか。

「弟子入りならお断りじゃぞ」

「誰が入るか!」

大ボケをかます老人に向かって、思わず大声で叫んだ。

「むぅ…ならば、目当てはワシの剣か?」

「いらねえよ」

深夜であることを思い出して、やや小さな声で言い放つ。

「俺は弟子入りなんてしない。
 そんな暇があるなら、あいつのすぐ側で修行をする」

「それは、あいつとやらを守るためかね?」

試すような老人の問いに

「そうだ」

一瞬の迷いもなく、答える。
老人は、その答えに対して、ふむ、とだけ言った。

「…そうじゃなきゃ、わざわざこっちに残った意味がねえ」

「……」

「これであいつを守れないなんて事になったら――最後まで迷惑をかけた俺の 親友に、合わせる顔がない」

あれから随分と月日が立ったが、今なおあいつらの顔は思い出せる。
あいつらは――元気でやっているだろうか。
少しだけ、過去の思い出に浸る。

「ところで若いの」

「うん?」

振り向くと、老人が遠い目をしながら、月を仰いでいた。

「ワシもな、最後まで迷惑をかけた、大切なものがおった」

淡々と、思い出すように。
ぽつぽつと、ゆっくりと。
しんしんと、思い出の海に浸るように。
老人は、語った。

「あれからもう、何十年も経ったが、未だに会いにいけないでいる。
 …まあ、病弱だったからなぁ。もうこの世にはいないじゃろう。
 昔から病弱じゃったもんだから、青二才だったワシは、自分の力量も弁えず
 守ろうと必死になっておった」

「なんで…――なんで、別れたんだ?」

何故会いにいけないのか、とは聞けなかった。
聞いてはいけないような気がしたし、その答えは、自分が一番良く分かっていることだからかもしれない。

「うむ。ワシの他にな、そいつを守ろうとした者がいたんじゃよ。
 ワシは一方的に敵視して、張り合ったが…結局敵わなくての、自分がそいつ のお荷物だと思い込んだんじゃよ」

「爺さん…」

「いや、分かっている。今となっては、もう分かっているんじゃ。
 ワシはお荷物などではなかった。ワシは去るべきではなかった。
 それでもな、若いの。
 去った時点で、ワシに帰るべき場所はなくなってしまったんじゃよ」

反論をしようと口を開きかけ――

「……」

老人の、寂しげな笑顔に阻まれた。

「…悲しいがな、事実なんじゃ。
 どんなにお互いが、会いたい、と求めていても。
 そこに場所がないのならば――再会は、単なる苦痛となる。歪となる。
 お荷物だと思い込んで去ったワシは――本物のお荷物になってしまい、帰れ なくなった。まったく、とんだお笑い種じゃな」

自嘲。そう一言では切って捨てられないほどの重みがある言葉。
…なるほど、確かにこの老人は自分よりも大きな経験を積んでいる。
自分よりも多くを知っている。自分よりも高みに在る。
それでも――

「そりゃ違うぜ、爺さん」

「…ふむ。どういうことかね?」

「再会で生まれるのは、苦痛だけじゃない。歪だけじゃない」

それでも、これだけは譲れなかったから。

「俺はな、爺さん。故郷に親父と妹がいる。
 その二人に別れの一つも告げないまま、今こうしてここにいる。
 あれから、向こうでももう大分時が経っただろう。
 俺の居場所も、もうなくなっていると思う。
 けれど。けれどな、爺さん。
 俺は機会があったら、また親父と妹に会いたいと思ってる。
 親父と妹だけじゃない。皆に――俺の親友にも、また会いたい」

「お前の存在が、苦痛を生むとしてもか?歪を生むとしてもか?」

「そうだな。今更俺が帰っても、皆は迷惑するだろう。
 でも、親父も、妹も、親友も、喜んでくれるはずだ。嬉しがるはずだ。
 少なくとも、俺は嬉しい。また会えたことが。
 …ま、それに俺の場合は迷惑かけたのは今に始まったことじゃないからな。
 また迷惑かけても、あいつ等は許してくれるはず……だと思う。多分。
 いや、親父から拳骨くらいは覚悟しておいたほうがいいかな」

今まで何度も見た、父親の怒り狂った顔を頭に思い浮かべる。
…いや、良く考えたら、怒りそうな奴は大勢いる。
妹は無論のこと、親友の幼馴染も、大臣も。皆、怒るに違いない。
だが、それでも――。

「…なるほど。そうかもしれんな」

老人が、呟くように小さな声でそう言った。

「うむ。その通りじゃな、若いの。
 たしかに再会するのは苦痛かもしれんが、それでも喜んでくれるはずじゃ。
 それなら、会いに行くべきかもしれんのう」

大きく頷く。

「そうだよ。爺さん」

「…そうじゃな。そうしてみようか。ありがとうな、若いの。
 随分とかかったが、ようやく再開の目処が立ったわい」

そう言いながら――老人は、踵を返した。
その背に向かって慌てて叫ぶ。

「おいおい。ユバールは旅人を歓迎するんだ。
 今夜はテントでゆっくり…」

「お前さんには時間があるがな、わしにはもうない。
 この脚が動けなくなる前に。この目が見えなくなる前に。
 この耳が聞こえなくなる前に。この鼻がきかなくなる前に。
 ――この命が、天へと昇る前に。ワシは、行かなければ」

ふぅ、と溜息一つついてから、俺は老人に手振りで「ちょっと待て」と合図してからテントへ戻り、食料と水を持ってきた。

「ほら、これ」

「…水と食料かね?」

「ああ。貴重な物なんだから、大切に使えよ。
 それと、例はいらない。ユバールは」

「旅人を歓迎する、というわけか。
 わかった。ありがたく受け取らせてもらうよ」

「ああ、道中気をつけてな」

「うむ。お前さんも達者でな」



…こうして、二人は別れた。
ユバールの守り手と。大切な人との再会を望む老人。
この二人が、今後どうなるのかは――舞台の外では分からない。

――今宵も、どこかで運命の輪が錆び付き朽ちる。
――バネは外れネジは取られ、歯車は飛び出し輪は止まる。
――バネの名は舞台。ネジの名は脚本。歯車の名は役者。
――演目は「運命」
――今宵も、一人の観客もないまま、幕は静かに下りてゆく――








「運命の輪」

大アルカナの十。
正位置では運命・転換・進展・事態の展開・変化の時を暗示。
逆位置では不運・失敗・悪化・すれ違い・不可避の事態を暗示。