『バハラタの死闘(完結編)』







「――やれやれ、どうにか全員生存したまま辿り着いたな」

コキコキと首を鳴らしながら、武道家のファンが疲れたように言う。

「体力も魔力も限界に近いですけどね」

「そうねぇ。バハラタの直前で大量のハンターフライが出て来た時はこれで終 わりか!って思ったもんねぇ」

「…話は後にして、とりあえず宿屋に行こう。そろそろ夜になるしな」

安心したような笑みを浮かべているのは、僧侶のシーズ。
気軽な声でそれに相槌を打つのは商人のリリン。
そして最後に発言したのが、この俺、クライア。
一応、リーダーということになっている。ちなみに職業は勇者。

――俺達は、船を手に入れるためにポルトガを訪れ、そこで王に黒胡椒を取ってくるように命じられた。
世界の危機はさておいて、麗しきギブ&テイクの精神である。
まあ、俺達としても新しい土地に行くことに異存はなかったので、軽い気持ちで承知して、ノルドさんの家にあった抜け道から、ここバハラタまで来た。
…が、それが甘かった。
ここバハラタに出てくる魔物達は屈強な砂漠の魔物を遥かに上回る体力と攻撃力、そして統率力を持っていた。一体一体なら大したことはないのだが、連携してくるので性質が悪い。
特に昨晩遭遇したデスジャッカルの群れは最悪だった。あいつらは腐った声帯でどうやっているのかは知らないが、咆哮で連携をとっている。そのうるさいことうるさいこと。あいつらのおかげでアントベアやらマージマタンゴやら、他の魔物まで相手しなくてはならなくなった上に、結局ロクに眠れなかった。
…まあ、経験だけ習得して、辛い過去は忘れることにしよう。
ともかく、そういうわけで俺達は命からがらバハラタに到着したのだった。

「あ〜ダリぃ。宿屋までいくのメンドくせ〜」

「ほらほら、あと少しなんですから」

緊張感が解けたからか、生来の怠け癖を発揮し始めるファンを励ますシーズ。
ちなみにリリンは、さっさと宿屋に向かっている。
…流石、自他共に認める切れ者である。

「ちょっと待てよリリン。その前に買い物してから行こうぜ」

「えぇ?先に宿に行ったほうが良くない?」

「でも、行ったらしばらく出て来れそうにないし。
 それに、もうすぐ店も閉まるぞ?」

リリンはじっとこちらを見つめて、後にしようよと無言の抗議している。
が、こちらとて退くわけにはいかない。
これは旅の行商人から得た情報なのだが、バハラタのとある武器屋に非常に人気の高い名剣があるらしいのだ。
明日になれば無くなっているかもしれない。いやひょっとして今、なくなりかけているかもしれない。そういうわけで、俺は今すぐに買いたいのだ。

「えっと、あの…」

シーズがおろおろしながら俺とリリンを交互に見ている。
その心配そうな瞳に少しだけ罪悪感が芽生えるが、それを押し込める。
…が、いつまでもこうしているわけにはいかないのも事実。となれば、この手段を使うしかない。

「…じゃあ、こうしよう。宿代は渡すからリリンは先に宿に行ってくれ。
 その間、俺は店で買い物をしてくる」

「買い物って…」

「大丈夫大丈夫。交渉は見慣れてるから。安く買ってみせるって」

当然、そんなことはない。
たしかにリリンの交渉は見慣れてこそいるが、あれを習得せよなどというのは一朝一夕では不可能だということは、素人の俺でも理解できる。
が、そういう考えをおくびにも出さずに、あえて気楽そうに言った。
…客観的にみれば、俺が大金を持って買い物をすれば、それこそ大損をした挙句に無一文、いや下手したら借金さえ作りかねない。
商人であるリリンにとって、そんなことはプライドが許すまい。
リリンはしばらく唸った後、諦めたように戻ってきた。

「やっぱり私も行く。だから、交渉は私に任せてよね…」

凄い目をしている。
恐らく、その鬱憤は交渉相手に向けられるだろう。

「ああ」

笑顔で答えた。
俺達を見ながら、ファンが呟く。

「うわ、悪党」

殴り飛ばした。





「――来たな」

俺達はついに――といっても歩いて30分ほどだったが――武器屋にたどり着くことができた。
俺達(俺とリリン)の間に、緊張感が駆け抜ける。

「……シーズ、現在の所持金は?」

「えぇと…7002Gですね」

「上出来だな。これなら、あるいは行けるかもしれない」

「油断しちゃ駄目だからね、クライア。
 ここに来たからには、命なんてものは捨てなさい。
 …あなたが今たっている場所は、銀貨で金貨を洗う戦場なんだから」

「…あの、あまり店の人は困らせないでくださいね」

俺は親指を上に立てると、店の中へ突入した。
後ろにリリンが続く。

「ああ、あの!値切りも程ほどにしてくださいね!!」

「…いや、それは無理だと思うぜ」

仲間からの熱い声援を背に、俺達は門を潜り抜けた――

「あ、いらっしゃいませ〜」

カラカラ、と頭上にある鐘(来客を告げる鈴)が鳴り響く。
広間(店内)の奥にある玉座(カウンター)には、一人の少女。

「こいつが(店長なのか)…?」

「油断しないでと言ったでしょう?多分あれはただの雑魚(店員)。
 ヤツ(店長)は奥でじっとこちらの様子を窺ってるはずよ」

「…あの、店長に御用時でしたら、申し訳ありませんが明日にしてください。
 今日は店長、風邪を引いて店のほうに出て来れないんです」

「――」

思わずリリンと顔を見合わせた。嘘をついている様子はない。
だが、そうなると次にどのような行動をとるべきだろうか。
リリンは俺に耳打ちしてきた。

「幻術師がいると思う……違う違う、そっちじゃなくて。
 …店長がいないというのは厄介だね…『自分の一存では』なんて言われたら 私達に打つ手はないから」

「…店長の家を聞いて、強制交渉に入ればいいんじゃないか」

「本当に勇者かお前は」

いつの間に入ってきたのか、第三者(ファン)が俺に話かけてきた。
俺はこいつと俺達の身の安全のために、再度殴り飛ばした。
勢い良く床に倒れ込むファンを無視して、話し合いを続ける。

「駄目。この時間帯だから、下手をすると大騒ぎになる」

「チッ――」

舌打ちする。しながら、さり気無く店内に飾られている見本を見回す。
…モーニンスター……大バサミ…‥理力の杖……ゾンビキラー……ん?

「(こ、これだ!!)」

俺は凝視したい衝動を押し留めて、リリンに耳打ちする。

「バラモスブロスがいると……しつこいぞ作者。
 ついでにここにはバラモスブロスなんていない。
 ……えぇとリリン、あのゾンビキラーを入手したいんだけど」

「…ありゃ、これは凄いね。まさかこんな所にゾンビキラーとは。
 あれが件の人気武器?」

「あ、はい。つい最近仕入れたばかりで、それが最後の一本なんですよ」

途端――

「な――!」

リリンの顔に、衝撃が走った。

「――リリン、この女…」

「えぇ…侮れないわ。悟られないように行動していたはずなのにそれを見破り
 あまつさえ、こちらの購買意欲を大幅に上昇させる『最後の一つ』…!
 しかも、人気商品ゆえにその信用性も高い。この女…とんでもない相手ね」

戦慄する俺達の後ろで、先の第三者(ファン)を診ていたシーズが、俺達の闘気に圧倒されながらも話しかけてきた。

「あの、それだけ大声で話していれば普通に気付くと思うんですけど」

「ちょっと黙っててねシーズ。
 クライア、最大限の警戒をした方がいい。ひょっとしたら、彼女こそが…」

「ヤツ(店長)か。成る程、ここまで卓越した技能をもってすれば、何ら不思 議なことはあるまい」

「いえ、私はただの店員で」

狼狽したような声、が、俺達はその程度では揺るがない。

「リリン…行けるか?これだけで」

ゾンビキラーの値段は9500G。買うには2500Gほど不足している。
が、リリンは笑みを浮かべて答えた。

「…クライア。悪いけど、この一本だけにしてくれる?
 悪いけど今は、他の物は目に入りそうもないから」

リリンは前を見据え――宣言する。

「この魂と引き換えにしても――あの剣を、手に入れてみせる」

「た、魂なんていいですから!お金さえいただければ渡しますからっ!!」

悲痛な響きをもって叫ぶように言う女――否、店長。

「…半泣きになってるぞ、あの子」

「あああ、ごめんなさいごめんなさい」

「…だからお前は半人前なんだ、シーズ。ついでにファン。
 あれは演技に決まっているだろう」

「まあ…プロの女優は涙を自由に操れるとは聞くが…」

「もし本当だったらどうする気なんですかっ!」

「もし…?」

俺は自嘲を込めてニヤリと笑い――

「ここは戦場だぜ?殺られたら(損をさせられたら)終わりなんだ。
 もし違ったら、だと?クク…甘すぎる……!
 糸に僅かでも綻びがあるなら直せ!そうでなければ切り取れ!
 それが…ここでの暗黙の掟だ」

「は、はぁ…」

「…なんというか、お前。性格変わってないか?」

「いいや、俺はいたっていつものままさ」

大げさな動作で首を振る俺を、ファンはしばらくじっと見つめていたが、

「……そうだな。良く考えてみれば、確かにいつもの抜け目のない勇者様だ」

俺はニヤリと一つ笑ってから、リリンに視線を移した。

「!!?!?!?…お、おいこら!首はやめろ!!死ぬ!死ぬって!!」

五月蝿いので落としてやった。





「…わかる?こうした傷ってのはかなり商品価値を落としてるの。
 これが店側の怠慢かどうかはしらないけど、これで正規の値段ってのは少し おかしいって、自分でも思うよね?」

「いえ…その、他の店でもそうらしいですし…それに…」

言葉を遮って、更に追撃を加える――!

「他の店はどうでもいいの。買うのは私達なんだから。
 ここにあるってことは売るってことだよね?それとも単なる自慢?」

「あの、はい。たしかに売る気はありますけど…」

かかった。
心の奥でほくそ笑み、容赦なく攻撃を叩き込む。

「なら、最高の状態で売るべきでしょ!?
 それが何!?刃の部分は錆び付いているし、柄だってボロボロ。
 装飾部分もはげかかってる!あ、ほらほら。刃が削れてる部分がある。
 それとも、あんたには見えないっての!?」

「うう…み、見えます。見えますけど、流石に2000Gは酷いですよ…。
 市場価格で5000Gなんですから…」

「嘘ね。市場価格なら、せいぜい3800Gのはず」

自信満々に断言をする。
…実を言えば、これは賭けだった。
本来ならば、彼女の言うとおり市場価格では約5000G。

「あれ?ええと……でも、これを売りに来た商人さんは確かに…」

「そんな事は知らない。
 あんたが商人だって言うなら、市場価格くらい自分で調べるべきでしょ?」

「それは…そうですが」

「でも…流石に2000Gはふっかけすぎたかな?
 4000Gにしてくれない?それならいいでしょ?」

思いっきり優しい声をかける。
彼女は少しだけ安心したような顔を浮かべ――すぐに、きっとなった。

「駄目です!私は店長に、この店を任せられているんです!
 私がいる限り、びた一文まかりません!!」

心の中で舌打ちと同時に、ホッと息をつく。
あと一瞬彼女の反応が遅れていたら、こちらが隙をさらけ出すところだった。

「…あらそう。それなら、いいの?
 店の怠慢で劣化した商品なのに、それを通常の値段で売りつけた。
 なんて噂が立っちゃっても。私、こう見えて口が軽くてねー。
 うっかり酒の席で話しちゃうかも。しかも大声で」

あからさまな脅迫をする。
が、先程「劣化している」ことを認めさせたので、反論はできない。
怒涛の如く攻撃を続ける。

「第一、あんたはさっきこの商品を値切りすることに同意したじゃない!」

「い、言ってませんよ!」

「嘘をつくな!『2000Gは酷い』って言ったじゃない!
 これは2000G以上なら値切りを認める、ってことでしょ!?
 私は別に2100Gにしてもいいんだけど、それじゃあ酷いと思ったから、 わざわざ4000Gにしてあげたのに!」

「そ、そんなぁ…」

演技をするだけの余裕があるということは、まだ攻めたりないということ。
…それとも、最後まで演技を貫き通すつもりだろうか?
まあ、どちらでも構わない。私は――誓いを果たすまで!

「それで不満足って言うなら、4200Gにしてあげる。
 まさか、まだ不足だなんて…」

「6000G!」

遮るようにして彼女が言った。

「ふざけんじゃないっての!4200G!」

「5500!」

「4500!」

「ご、5400!」

「100Gぽっちじゃない!4200!」

一向に値段を釣り上げない私に焦りを感じたのか、彼女の額に汗が浮かぶ。

「なら、5000G!」

「4200!」

「4800!これ以上は、もう…!」

「しつこい!4200!!」

「ええい、もう。わかりましたよっ!!
 それなら……」

店主が何かを言おうとした瞬間、クライアが何かに気付いたかのように外に目を向け――。

「く、クライアさん!?」

「――リリン。どうやら『客』のようだ」

そう言って、店の外へ躍り出た。

「――っ!」

思いがけない事態に、思わず顔を顰めさせる。
それを彼女が見逃すはずもなく、こう言った。

「4500Gでいいですっ!ただし、他に一点商品を買ってください!
 もちろん、他の店と同じ値段で!」

「……」

私としては最後の最後までやりたいが、誓いがある。
あくまで優先すべきは剣の確保。
それに、これは中々の好条件ではある。
結果的に、別の商品を買うことになったとはいえ5000Gも値切れたのだ。
ここは退くべきだろう。

「…じゃ、交渉成立ね」

彼女が値を吊り上げる前に、私はそう宣言して彼女の手を取る。
――中々の強敵だったと、潤んだ瞳が語っていた。

「あの、リリンさん」

「ん、シーズか。どうしたの?」

戦闘(値切り)モードを解除する。
シーズはやはりあのそのと言いよどんでから、おずおずとこう言った。

「私、理力の杖がいいと思うんですけど」

壁に視線を移す。2500G。この中では最も安い武器だった。

「…そうね。それじゃ、それを買いましょう」

「お買い上げ、ありがとうございまし…」

「おぉい!誰か!!ヤツを止めてくれぇぇぇぇぇ!!」

夕暮れに、ファンの悲鳴が響き渡る。
――金色の空の下。一つの戦いが、静かに終わりを告げた。








「……迂闊だった」

リリンがポツリと呟いた。

「…いや、俺の責任だ。
 臨戦状態のお前に全額を預けるなんて、馬鹿なことをした。
 お前は悪くない。責務を果たしただけなんだからな」

「誰の責任かはどうでもいい」

怒ったように――実際起こっているが――ファンが吠えた。

「俺達は、どうすれば良いんだあああああああああああっ!!」

「…2Gじゃ、どうしようもありませんしね」

恨めしげに、理力の杖を見る。
……ちなみに、店も全て閉まっているから所持品を売ることもできない。

「宿代を計算に入れ忘れるなんて…私としたことがっ!!」

頭を掻き毟るリリンを、おろおろとしながらシーズが慰める。

「いえ、その。あまり自分を責めないで下さい」

「…相変わらずシーズは優しいんだな」

「引っ込み思案なのが欠点なんですけどね」

いつもの、何かを含んだ言葉ではなく。
ただ純粋に、俺はシーズにそう言った。
…曰く、苦境において人を助ける者こそ、真の善人であるとか。
俺は、彼女の中に天使を視た――。

「体力も魔力も切れてるから、戦闘はできない…。
 薬草も尽きてるから、体力を回復することもできない…。
 明日になるまでは、俺達は何もできない…。
 へ、ないないづくしかよ」

うっすらと光る雫が、ファンの頬を伝っていった。








「…いや、やるものねぇ」

ベットの中で、私は独り呟いた。

「まさか、この私が5000Gも値切らされるなんて。
 私に比肩しうる強敵がいたとはね」

これだから商売というものは面白い。
馬鹿な新米店員のフリをするだけで易々と高値で偽物を掴まされる馬鹿もいれば、それにかかることなく安値で一級品を安く手に入れる者さえいる。

「…私ももっと修行しないとね」

明日になれば無駄に肥えただけの馬鹿店長が帰ってくる。
嫌だけれど、これも修行のうちと我慢しよう。
…昨日は辛く今日も辛く、そして明日もきっと辛い。
それを楽しみとして生きているけれど、せめて今はいい夢を見たい。
私は灯りを消して、ゆっくりと穏やかな眠りの闇へと落ちていった。








「節制」

タロットカードの十四。
正位置では節制,安定,堅実,適切,状況管理を暗示。
逆位置では失敗,不安定,暴走,節度をなくす,信用の喪失を暗示。