『シャイン・ガーデン』







「――」

月光を肌で感じ取り、目を覚ます。
カーテンを開けて外を見れば、空はすっかり藍色に染まっていた。

「わー…かなり寝過ごした」

多分、彼はとっくの昔。恐らく夕方ぐらいには起きているだろう。
起きて、あの狭苦しい書庫で本を読みふけっているに違いない。
彼のことはいたく気に入ってはいるのだが、もう少し、外にも眼を向けてほしいと思う。
せめて、こんな夜の日だけでも。
とかなんとか、親友の将来について悩んでいると、背後から声をかけられた。

「お嬢様。お目覚めですか?」

振り返ると、この屋敷に古くから仕えている初老の男が目に入った。

「マネフィスか。うん、今さっき目覚めたとこ」

「そうですか。
 それでは、寝起きのところ申し訳ありませんが、広間までお越し下さい。
 お客様は全て揃っております」

反射的に、窓の外、藍色の空にぽっかりと浮かぶ月を見る。

「…そーいえば、今夜は満月だっけ」

「はい。既に宴の準備は整っております。
 旦那様。奥様。クランティム様。ティルシア様は、先程から下でお待ちにな っております」

先程といっても、本来、宴は日が沈むと同時に始まる予定だったはず。
…改めて月を見る。空の頂に到着しかけていた。

「……怒ってた?」

「ええ。それはもう。
 いくら吸血族が気長とはいえ、4時間も待たされれば怒りもします。
 ですから、お嬢様が他人に起こされるのを酷く嫌っているのを承知の上で旦 那様は私に、お嬢様をどんな手を使っても起こすように命じられたのです」

怒り狂った表情の父上の姿を思い浮かべる。
……良かった。これで機嫌が悪いままで行ったら、大変なことになってた。

「…なるほど。それならちょうど良いタイミングで起きたわけだね、私」

「できれば5時間ほど前に起きていただいたほうが、私どもとしてはありがた かったのですが」

表情一つ変えずに言い放つ。
私も彼とは十年近くの付き合いなのだが、未だにこの表情を崩したところを見たことがない。
本人曰く、主人が死んでも眉一つ動かさず、速やかに葬式の準備を始めるのがプロフェッショナルなのだとか。
まあ、私達には葬式なんていう習慣は存在しないのだけど。
死んだら灰に還るわけだし。

「ティミア様。先程も申し上げましたとおり、皆様お待ちかねです。
 すぐに広間までお越しいただき、開催の宣言を行ってください」

「うん。わかった。すぐ行くね」

さすがにこれ以上待たせたら、大変なことになるかもしれない。
と、小走りで部屋から出て行った私の背に、マネフィスが声をかけた。

「お嬢様。その格好で行くつもりなのですか?」

「うん。だって、急ぐんでしょ?
 いつまでも待たせてちゃ、皆に悪いし」
 
私がそう言うと、マネフィスは1秒間だけ沈黙して、

「その通りでございます」

表情を変えないまま、嬉しそうに言った。





「あー、くたびれた」

「…お前のは自業自得だ。4時間の遅刻に加えてあの格好では、な」

「だって。格好を整えてたら時間がかかるじゃない」

そんなことを言いながら、私と親友は外へと出てきた。
ちなみに親友は、月見酒をするつもりなのかワインボトルを持参している。
グラスは?という質問は彼女には無意味だろう。
十中八九、ボトルのまま呑む。と答えるはずだ。

「…私は伯父貴のように淑女らしく、とは言わんが。
 その大雑把さを早めに修正せねば後々苦労することになるぞ」

「君もね。私には本の面白さは分からないけど、もう少し外に目を向けた方が いいんじゃない?」

「――む」

そんなに家に篭った記憶はないので、昨日の行動を思い出す。
黄昏時に起床して、食を取り、自室で7時間ほど読書。
ティミアに誘われて2時間ほど外出。夕食で1時間。
その後1時間ほど読書した後に就寝。
…2時間も外に出れば、十分だと思う。

「向けているぞ」

「でも、私が誘わない限りはいつも本読んでるじゃない」

「そんなことはない。お前に食事時に誘われたもあった」

嘆息される。…何かまずいことを言ったのだろうか。
相変わらず彼女は理解に苦しむ。

「…ま、君にそんなことを言っても仕方ないか。
 でも、陰気な男はもてないよ?」

「別にもてたいとは思わない。生憎生来より学者肌なのでな。
 強いて言うなら書物こそが私の伴侶となるのだろう」

「何?君、本と結婚するつもりなの?」

本気で驚いた顔。私は苦笑しながら言う。

「喩えだ。私にとってはそれだけ本と共にある生活が望ましいということだ。
 お前は常に自由気ままに生を謳歌したいのだろう?それと同じことだ」

「ふぅん。でも私、君と一緒にいられるなら自由でなくてもいいんだけどな」

その言葉に、私は思わず目を細くした。
半分は苛立ちで。もう半分は、嬉しさで。

「――馬鹿者。昨年のことを忘れたか。
 そういうことはみだりに発言をするべきではない」

「昨年……ああ、例の婚約騒ぎか。
 私と君が結婚するってのも、まあ面白いかなって思ったんだけど」

…だから、そういう発言をみだりにするからあそこまで大騒ぎになったのだ。
まあ、私が発表寸前でその動きに気付いたから事なきを得たものの。
危うく吸血族の末席に居座るところだった。…誰が吸血鬼になどなるものか。

「でもさ、あの騒ぎの原因はギリギリになって婚約破棄を宣言した君のせいだ と思うんだけど」

「……まあ、確かにそのとおりだが。そもそものきっかけはお前だ」

「んー、でもさ。あれは勝手に勘違いした君の父上の方が悪いんじゃない?」

だから、思い込みの激しいことで有名な父上がすぐ側にいる時にそういうことを言ったお前の責任だということなのだが。
と、そう言っても、恐らく通じはすまい。故に私は沈黙を持って返答とした。
ティミアはそれに気付いたかどうかは微妙な顔をしながら、ボトルに口をつける。特に何も持ってきていない私は、夜空の月を仰ぐことにした。
…そのまま穏やかな沈黙が続く。

「…ねぇ」

唐突にティミア。

「なんだ?」

「君に夢ってある?」

「…夢、か」

強いて言うならば――

「そうだな……旅をしてみたい」

「旅って…旅行?」

「違う。見聞を深めるための旅…まあ、言い換えれば修行だ」

「言い換えれば旅行だと思うけど」

茶化すティミアに構わず、私は話を続けた。

「お前にも度々指摘されることだが、私は基本的に書斎に篭っている。
 が、それは別段外が嫌いだからそうしているのではなく、既に興味を失って しまったから自然とこうなっただけのことだ」

「???」

「…つまり、端的に言えば飽きたのだな」

「別に私は飽きないけどな」

「お前はそうかもしれないがな。私にとってみればここは狭い世界だ。
 世界が一定という観念の中に囚われた流転を続ける……すまん。
 つまり、世界は変わるものとはいえ、その変化をある程度知ってしまったこ とで、私の中には飽きが生じたのだ」

「別に変化しようがしまいがいいじゃない。楽しければさ。
 第一、セイズだってホントは楽しいんでしょ?
 私が誘うと二つ返事で外に出るじゃない」

確かに、どんな興味深い本を読んでいても、彼女が誘えば私は必ず了承し、すぐさま外に出ている。だが、それは――

「それはお前がいるからだ」

「…えぇと、どういう意味?」

「お前に対しては未だ興味が尽かん。お前風に言えば『面白いヤツ』なんだ」

「それは私にとっての君と同じってこと?」

「まあ、そうなるな」

多分、友愛の情も突き詰めればそういうことなのだろう。
多大なる興味があるからこそ、そういう情が沸くのだ。

「そういう意味では、私はお前に愛情を感じているのかもしれんな」

「…なのに婚約破棄したんだ」

「リスクが大きかったからだ」

「少なかったらしたの?」

「さて…どうだろうな」

自問する。
もし、吸血鬼になるという条件がなければ、私は彼女と婚約しただろうか?
…考えようとして、無意味なので止めた。
そんなことが今後起こりえるわけがないし、何より過去の仮定に興味はない。

「……ねえ、もう一ついい?」

「ん?」

「それじゃ君は、いつかここを出て行くの?」

「そうだな。早ければ明日。遅くても死ぬ前には」

「ふうん」

何故か、その呟きが悲しそうに聞こえた。





ガチャリ、と。鈍い金属音を立てて鋼鉄の扉が開く。
その先は深淵まで続いているかのような深く暗い螺旋階段。
…私も、ここにはあまり訪れたことはない。
用がないからというのも大きいが、何より、この雰囲気が好きではなかった。
まあ、私の寝床がかなり明るいからかもしれないが。

「おじゃましま〜す…」

一応挨拶をしてから、階段を下りる。
こつ、こつ、こつ。足音が反響する。
それで親友を起こさないだろうかと少し心配しながらも、徐々にそこへと近づいて行く。

「えぇと…どれだっけ?」

王族に継ぐ上流貴族の身でありながら、棺桶の寝床。
かなり不似合いな気もするが、王家への忠誠と、民と苦労を分かち合うためなの証なのだとか。
以前に親友が、そんなことをいっていたような気もする。
人族に感化されたのだろうが、困ったものだ、と嬉しそうに語っていた。

「あ、これだ」

階段側の一番奥。右から2番目の棺桶に彼は眠っていた。
万一の事を考えてだろう、ルーンで結界が張られているが、私にとっては子供だまし。易々と解除して蓋を開けた。

「…え」

ガシッと、その手を掴まれた。

「……姫。この様な所に何用ですか?」

何とも表現しがたい冷たい面持ちで、親友がそう尋ねてきた。
ちなみに、敬語なのは皮肉とかそういうのではなく、単に周囲の者が聞き耳をたてていることを警戒してのことだろう。

「君を起こしに来ようかと思って。起きれる?」

「一昨日に睡眠は十分すぎるほどとりましたので、問題はありませんが…」

「じゃ、ちょっと外に来て」

無理矢理起こして、有無を言わさず引き摺るようにして階段を上る。
途中、何やら小声で文句を言ってきたような気がするが、全て無視する。
やがて階段を上り終えて、扉を開けると、彼の驚いたような声が響いた。

「ティミア!今は朝ではないか!!」

「うん。そうだよ」

何も問題はないはずなのだが。
他の下流貴族やら血を吸われた隷属者ならともかく、成人前、しかも上流貴族である私達にとって、太陽に当たったぐらいでは特に影響は…。

「一体何の用なのだ!朝に呼びつけるなど…それほどに切迫しているのか?」

「う〜ん…どうだろ。私にとっては割かし切迫しているけど」

何せ、今日にも何処かへ行くかもしれないのだから。

「…外で話を聞こう」

「そうだね」

親友は緊張した面持ちで、私は気楽な気持ちで、光差し込む外へ出た。





「…それで、何用だ?」

久々の自然光のせいで、頭が少し痛い。
が、それを押し殺して彼女に状況を尋ねた。

「それよりさ、セイズ。目は大丈夫?」

「……少し霞んでいる。が、後数分もすれば回復するだろう」

「じゃ、少し待ってる」

ギイ、と。椅子が傾ぐ音。
周囲を探るが、特に気配は感じられない。
…まあ、当然だろう。朝方にわざわざ外を歩く吸血鬼など早々いまい。

「〜♪〜♪〜〜♪」

視力が僅かに回復したので、その「早々いない吸血鬼」の片方を見た。
(無論、もう片方は私だ)
…とても朝方に連れてくるような重要な話があるとは思えない。
小さく何か口ずさみながら、森のほうを見ている。
何かあるのかと視線を辿ってみるが、花畑しか見つからなかった。

「あ、目は良くなった?」

「ある程度は。それで、何用なんだ?」

「うん。…君はあまり朝方に外へ出たことはないんだよね?」

「?…ああ、幼い頃に1〜2度出て以来、ほとんど」

質問の意図が分からず動揺しながらも、私は正直に答えた。

「じゃ、周囲をグルって見回してみて」

「?」

意図が分からないまま、言われたとおりにする。
…が、特に何も見つからない。

「何もないが」

「そりゃあ、まあ。昨日と同じ場所だもん」

「見れば分かる。何を言いたい?」

「でも、新鮮でしょ?」

「――」

改めて見回す。
――淡い月の光の中に浮かぶ、夜の静けさと闇の香り。
それとはまた違った意味で、そこは幻想的な風景だった。
――穏やかな陽光の中、雫が光を反射して星のように煌き、梢の上では草原色の小鳥が詩を朗吟する。空は蒼く澄み渡り、世界には喧騒が満ちている。

「…そうだな。新鮮だ」

どれも、夜にはないものだ。

「これなら、あと10年は飽きないんじゃない?」

「そうかもな」

独りだけならば半年で飽きるだろうが。

「…旅に出るのはもう少しだけ待っててくれない?」

「何故だ?」

「私も前々からいつか旅に出たいと思ってたんだけど、もう少し待たないとい けないから」

色々と手順が必要だからだろう。
私は一つ頷いてから、こう尋ねた。

「一緒に行く気か?」

「うん。折角だし、君といると楽しいだろうからね」

あはは、と気楽に笑う。
…だから、そういう発言が誤解を招くのだと言っているだろうが。
そうは思ったが、言わないことにした。どうせ、誰も聞いてはいまい。

「…そうだな。きっと、楽しいだろう」

言ってから、心中で驚く。
思った通りのことを、素直に口にしたのは初めてだ。
この環境が原因なのだろうか。
だとしたら私は、月下よりも日溜りの方が性に合っているのかもしれない。

「――ふむ」

空を仰ぐ。輝く太陽が空に浮かんでいた。
私は強い光に目を細めながら、それを、ずっと眺めていた。








「太陽」

大アルカナの十九。
正位置では陽光,魅力,恋愛,満足,可能性を暗示。
逆位置では延期,中止,消沈,半端,婚約破棄を暗示。