『ある春の日に・1――奏でられし狂想曲――』







木々の陰に隠れ、殺意を押し隠した生物を見る。

「……」

――現在の状況を視認する。
地域は樹海深部。前後左右には木々。その他の障害物はなし。
周囲に『敵』以外の気配はなし。
――敵の状態を計測する。
数は5体。交戦すれば10体ほどは追加されるだろうから、20体前後。
詳細情報は不明だが、複数で連携をとっていることから知能はそれなりに高くまた、群生であると考えられる。
――自身の状態を確認する。
損傷なし。戦闘可能。体力・魔力共に最大。

「ガルルルルル……」

「……戦闘を開始する。参加する気のない者は、ここから失せろ」

咆哮が、森に響き渡った。







草木は芽吹き、生き物は目覚め、大地は明るく空気は優しく。
ここ、ダーマ神殿は現在、春真っ盛りだった。

「〜〜♪」

そんな陽気の中を、嬉しそうに鼻歌交じりで歩いていく女神官一人。
手には紅茶の入ったカップが二つと、数種類の菓子が乗ったトレイ。

「…おや、どちらへ?」

穏やかな声に振り向くと、そこにはダーマ襲撃事件の直後に配属となった、新任の神官長の姿があった。

「これは神官長様。
 美味しい菓子が手に入りましたので、フォズ様とお茶でもしようかと」

「お茶ですか……それはいいかもしれませんね。
 フォズ様、近頃は職務に追われていましたから。
 カシムがぼやいてましたよ、休憩時間をずっと愚痴を聞いて過ごしたって」

「ええ、だから今頃は自室で休眠していらっしゃるころでしょうね」

「おや」

神官長の眉が僅かに釣りあがる。
仮にも親衛隊長であるならば、本来、そんな行為は許されない。
これがもし、ダーマの襲撃事件直後の緊張した時であったならば、彼もカシムに責任を負わせざるを得なかっただろう。
しかし、ダーマの襲撃事件はもう2年以上前の出来事。
移ろいゆく時は、人の記憶と心を奪ってゆく。
それは、神官長の座にある彼も同じこと。
故に、彼はその失態を黙って見過ごすことにした。

「気持ちはわかりますが…困ったものですね」

「いえ。私から言ったんです。
 フォズ様のお相手は私がやっているから、あなたは部屋で寝ていろって」

「……同意したんですか?」

ふと思い出す。
そういえば、本日はカシムの姿を見ていない。

「考えておく、って曖昧なお返事だったものですから。
 実力行使に出ました」

「……そうですか」

「それより神官長様。フォズ様のお姿を見かけませんでしたか?」

「ああ、部屋にいらっしゃいますよ。途中までご一緒しましょうか?
 近くまで用事がありますので」

「はあ、それは構いませんが。用事とは?」

「いえ、つまらないものです」

『用事』の内容がカシムの回復or蘇生であることは黙っておいた。





「フォズ様。失礼してよろしいですか?」

とんとん、と控えめに扉をノックする。

「…フォズ様〜、いらっしゃらないんですか?」

ちょっと強めにどんどん、とノックをする。

「…フォズ様、ひょっとしてご気分が悪いとか…?」

がんがん、と、勢い良く扉を叩く。

「…フォズ様、部屋に悪い人がいて口押さえているから喋れないとか?」

どがどがと、破壊目的やっているとしか思えない勢いで扉を殴る。
女神官の脳裏には、覆面をかぶった筋肉質の大男が、フォズ大神官の口を手で塞ぎ、じっと扉を見つめる姿。
大神官の目には涙が溢れ、助けを求めようと口をもごもごさせるが、男の頑強な腕がそれを許さない。

「フォズ様!返事をしてください!フォズ様!!」

鍵が開いていることに気付かないまま、女神官は扉を殴り続ける。
脳裏では妄想が危険な方向に向かい始めている。

「ああっ、フォズ様!おのれ悪党!いたいけな少女を無理矢理だと…!?
 何て不埒な!何で不浄な!危険思想者め、そこで待っておれ!
 この私が直々に、成敗してくれるわっ!!」

連続で正拳突きをかます女神官。
ギガントドラゴンもかくやという一撃を、たかだか木造の扉が耐え切っているのもひとえに魔法のおかげである。
これもダーマ襲撃を教訓とした防衛の一環なのだろうが、どうやらその防衛線を最初に突破するのは魔物ではなく、善意の女神官になりそうであった。

「フォズ様ああああああああああああああっ!!!」

会心の一撃。言うまでもなく、扉は轟音と共に砕け散った。
部屋に押し入った女神官は周囲を見据え、敵の姿を――

「…あれ?」

誰もいない。悪漢も、フォズ大神官も。
更にきょろきょろと辺りを見回した女神官は、机の上に手紙を見つけた。

「……」

脳内妄想が官能的なものから猟奇的なものへと変貌するのに、時間はかからなかった。

「フォズ様ぁ……」

ばたりと、そのまま床に倒れ込む。

「何の騒ぎですか!?」

「あ、神官長。その…扉が…」

「扉?」

視線を向ける。なかった。

「…こりゃ凄い壊し方だな…フォズ様、大丈夫ですか?」

返事がない。流石にカシムの顔に焦りの色が浮かぶ。
ひょっとしたら、飛んできた破片――ないしは扉そのもののせいで、気絶をしているのかもしれない。
気絶だけならば良いが、怪我をしたならば一大事である。

「フォズ様……!?」

慌てて部屋に入るカシムと神官長。倒れた女神官のことは――怪我をしてもそれは自業自得なので、とりあえず無視して部屋中を探してみたが、誰の姿も見つからなかった。

「……いませんね」

「ええ…ですが、私は確かに部屋に入るのを――」

「待った。手紙があります」

カシムが机の上においてあった便箋を指差す。
神官長はこくりと頷くと、それを手に取り、しばらく眺めていた。
と、彼は唐突に溜息を漏らし、続けて疲れたような声でこう言った。

「…フォズ大神官からのものですね」

「何と書いてあるのですか?」

「『心配欠けて申し訳ありません。
  少し、外で遊んできます。
  夕方までには帰りますので、心配しないで待っていてください。
  フォズ』と…」



to be continued 「STRENGTH」








「女教皇」

大アルカナのニ。
正位置では安心,直感,安らぎ,期待,ゆとりを暗示。
逆位置では諦め,悲観,現実逃避,疑心暗鬼,自己中心的を暗示。