『ある春の日に・4――終わり往く日に――』







「……」

装備の点検をする。
愛用の破邪の剣。鎧は機動性を重視して鉄の胸当て。
盾はかさばるのでなし。兜も視界が狭まるので今回は置いていく。
最後に疾風のリングを指にはめ、準備は万端。
窓の外を確認する。誰もいない。

「おし、行くか…!」

俺はこっそりと、外へ抜け出した。





「……」

物音に気付き、こっそりと室内の様子を伺う。
カシムが装備を整えているのが見えた。
…恐らく、フォズ大神官を救出に行くつもりなのだろう。
私はふう、と溜息を漏らした。
と、準備が整ったのか、最後に窓の外に誰かいないかを慎重に確認してから、外へと躍り出る。

「やれやれ…困ったものですね」

私は、部屋に戻ることにした。
歩きながら、独り言つ。

「…今から装備を整えるとしたら、どれくらいかかりますかね?」

当然、早朝のダーマでその声に耳を傾けるものなど、いるはずもなく。
従って、帰ってくる答えはなかった。





「……」

目を覚ます。……頭が痛むので、思わず再び瞑る。
が、意識は痛みで完全に覚醒している。

「……」

何があったのかを思い出す。思考が上手く働かない。
途切れ途切れには思い出せるのだが、まとまった一つの『光景』として、何も思い出せない。

「…散歩していれば、そのうち思い出すよね?」

誰に語りかけるでもなく呟き、私はベットから降りて、朝の空気を吸おうと中庭へ――。

「!」

神官長の姿が見えたので、反射的に木陰に身を隠した。
身を隠した理由は特にない。ただ、何となくそうしたほうがいいと本能が告げていたからに過ぎない。
しかし、落ち着いて神官長の姿を観察すると、その行動が正しかったと思い知らされた。


「(――武装、してる)」

神官長は、若いながらも卓越した魔法使いである。
フォズ様曰く、独学ながらも賢者、しかもアークウィザードの称号を手に入れられるほどに魔法に精通しているらしい。
だが、私は無論のこと、フォズ様ですらその活躍の様子を身た事がない。
神殿が制圧された時も、見たことのない所へ飛ばされた時も、魔物に対して反乱を起こした時も、神官長――当時は一般の神官だったが――は、一人だけで戦っていたから、その強さを知る者は誰もいない。
その神官長が、神殿内で武装をしている。一体何のために――。

「…あ」

そこで、ようやく思い出した。
フォズ様だ。
きっと神官長は、これからフォズ様の救出に向かうつもりなのだろう。
となれば、私も是非ついて行きたいところだが、わざわざ人目を忍ぶようにしてこんな早朝の中庭にいる時点で、私の同行が認められる可能性は限りなく低いだろう。
となれば、取るべき行動はただ一つ。

「…フォズ様、しばしお待ち下さい」

追跡を、開始した。





「っ……」

痛む頭を押さえながら、窓の外を見る。
武装した神官長が見えた。
そしてその後をつけている、フォズ大神官と仲の良い女神官の姿も。
…先程カシムが窓の外を通り過ぎてから今まで、約10分。
恐らくカシムは、このことを知らないだろう。

「ふう……」

痛む頭をさすりながら、ベットの下に隠しておいた剣を取り出す。
――妖精の剣。妖精の祝福を受けたと伝えられる、魔法の剣。
振るう。
久々に持つので少々重みを感じるが、すぐに慣れるだろう。
後は防具だが…まあ、身かわしの服で十分だろう。
どの道、自分には剣で精一杯なのだから、頑強な鎧など、装備できない。

「…よし!」

気合を入れて、窓から飛び出した。
…行き先は不明。
だが、やらなければ。
――誰かのお荷物になるのは嫌。けれど――







「…もうそろそろだ。大丈夫か?」

「はぁ…え、ええ…」

かれこれ1時間近く、普段は誰も通らない道を歩いているためだろう。
フォズの息はかなり上がっていた。

「手を貸すか?」

「え……はぁ…ええ…すみません……」

「いいよ、別に」

グーレイグは照れたように笑って、フォズに手を伸ばした。
フォズはその手をしっかりと握り、そして再び道なき道を行く。

「…着いたぞ。そこだ」

やがてグーレイグは前方を指差した、見ると木々の間から眩い光と――

「わあ……」

木々に囲まれたドーナツ状の空間に、一面の花畑。
赤・白・黄・紫・青。あらゆる種類の花が、無数に咲き誇っている。

「…オレは良くここに来る」

昨夜の微妙な笑顔を浮かべながら、グーレイグが呟く。

「あの木の根元に、師父の墓がある」

「え…?」

「オレは、あの墓を守っているんだ」

だから、いつもここにいる。と、悲しげに続ける。

「…辛く、ないんですか?」

「辛くはないけど、少し悲しい。
 …でも、きっとこれからは悲しくない」

フォズは何故、とは問わなかった。
にっこりと笑って自分を見る顔――それで、全て分かったから。

「…実を言うと、もう一つ墓がある」

「まだあるんですか?」

「うん。花畑の奥にある、枯れた木の根元に。
 オレの――」

「フォズ様!!!」

怒鳴り声が、響いた。







「フォズ様!!」

村から歩いて3時間ちょっと。
存外にも早く、フォズ様の姿を見つけられた。
が、その側には見たことのない誰かの姿。

「カシム!?」

驚きの表情で、こちらを見る。
そしてすぐに笑顔に戻った。

「…迎えに来てくれたんですね?」

「ええ。二度とこんな勝手なまねはしないように」

「…はい。すみませんでした」

ホッと溜息をつく。
どうやら、俺の心配は杞憂に終わってくれたらしい。

「…様?」

「?ああ、知らなかったのか…。
 実は、そちらにおわす方はダーマの大神官、フォズ様です。
 …えぇと、助けてくださった方ですね?
 親衛隊長カシム、心よりの感謝を申し上げます」

「あ、そうでした。
 カシム、この方はグーレイグさんといって、私のことを…」

と、グーレイグさんとやらがフォズ様の顔を見ながら

「フォズ、本当にお前はダーマの大神官なのか?」

心底驚きながらも、まだ信じられないとでもいうような目つき。
…信用してないな、ありゃ。
昨日のうちに何があったかは知らないが、よほどの失態を犯したのだろう。
その様子を思い浮かべて、不覚にも俺は笑ってしまった。

「ええ。騙すつもりはありませんでしたが…。
 そうです、私はダーマの大神官フォズです」

「大神官というと、転職の儀式を行うヤツのことだよな?」

「?ええ、そうですけど…」

考え込むようにして目を瞑る。
そして、すぐに開く。
その目には

「解放せよ!!」

とっさに呼びかけの呪文を詠唱する。それと同時に、俺の刀身から炎の波が、轟音と共にグーレイグの身体を吹き飛ばす!

「きゃあっ!?」

フォズ様も吹き飛ばしたが、とりあえず怪我はなさそうだ。
それに安心して、俺はグーレイグを睨みつける。

「…どういうつもりだ?」

「……」

「お前、今、フォズ様を殺そうとしただろう?」

フォズ様が息を呑む。
グーレイグは何も語らず、構えを取る。
それが、奴の解答だった。





先に攻めたのは、カシムの方だった。
ギリギリの間合いから、眼球を狙って剣を横に振るう。
後ろに飛んでかわすグーレイグ。一旦開いた両者の距離を、しかしカシムは一足で詰め、脾腹を裂かんと剣を振るう。
――本来、長剣と拳が戦闘をする時は、何よりも間合いが重要になる。
リーチに優れ手数で劣る長剣は、ギリギリの間合いから攻撃する必要がある。
逆にリーチが短く手数で勝る拳は、いかにして敵の懐に飛び込むかが勝負を分ける。そして、そのどちらも常に一撃必殺を心がけなければならない。
放つ一撃が必殺でなければ、己が必殺をその身に受ける。
故に、カシムは第二撃目にして必殺を放った。
かわすことも、防ぐこともできないはずの一撃を。
が、グーレイグはそれを、ガキン、と鋼鉄に似た音と共に、いとも簡単に腕で跳ね返した。


「な…!?」

驚く顔に目掛けて、猛烈な速度の拳が放たれる。

「チ…!」

何とか横に飛んでかわすが、それを追うようにグーレイグが疾風怒濤に攻め立てる――!

「ぐ…っ!」

転がりながら逃げ惑うが、数発、攻撃を喰らった。
が、カシムはそれに怯むことなく、反撃を開始する。

「解放せよ!!」

至近距離にまで迫ったグーレイグの顔面に、炎の波が直撃する。

「っ……!」

流石に聞いたらしく、よろめきながら数歩後退する。
その間にカシムは体勢を立て直し、素早く呪文の詠唱を始める。

「万里を巡る風よ、我が呼びかけに応えよ。
 千の剣もて敵を切り刻め。万の馬もて戦場を駆け巡れ。
 其は、天の代行者なり」

詠唱と共に、風が集い、渦巻き、蒼い竜巻が姿を現す。
竜巻は花を、土を巻き込みながら、更に巨大化する。

「バギマ!!」

詠唱終了と共に、何処からか生じた竜巻が、意思をもったようにグーレイグへと突撃を開始する。

「ふん!!」

グーレイグが腕を一閃させた瞬間、まるで冗談のように、竜巻は掻き消えた。
驚く間もなく、舞い落ちる花びらの中を、グーレイグが風の如く疾る。
慌てて後退するも、グーレイグは一瞬で距離を詰め、拳を振り上げた。
狙いは…心臓!
咄嗟に剣を構える。が、グーレイグは意に介した様子もなく、一撃を剣の上から叩き込む!

「ぐほ……っ!!」

胸当てと、剣。そして森に入る前にかけておいたスカラによる肉体強化。
三段構えによる防御を前にしてなお、その一撃は桁外れのものだった。
カシムは飛ばされつつも何とか受身を取って、すぐに前方に視線を向ける。
…フォズの姿は、かなり遠くにあった。
これだけ飛ばされて生きているどころか、骨の一本も折っていないのは幸運としか言いようがない。

「…意外と硬いな。いつもなら剣や鎧もろとも貫けるんだが」

ゆっくりと近づきながら、グーレイグ。
どうやら、フォズよりもカシムの撃破を優先したらしい。

「テメエ…本当に人間かよ?」

「…お前は、どう思う?」

静かな問いかけ。

「そうだな、どっちでも良いってのが正直な感想だ。
 お前が人間だろうが化物だろうが、俺の行動は変わらねえよ」

「…それもそうだな」

再びグーレイグが構える。
カシムは相手の眼を見据え、しかし踏み込むことができないでいた。
当然であろう。渾身の一撃を容易く受け止められ、中級呪文のバギマを振り払うような相手など、カシムの理解の範疇外である。

「……」

それでも、退くわけにはいかなかった。
ここで撤退の道を選ぶほど、彼の矜持は安くない。
かといって、命を捨てる気もなかった。
こいつはここで倒して、自分もフォズ大神官も無事に帰る。
それ以外の道を、選ぶ気など元よりない。
とはいえ――。

「どうすりゃ傷つけられるんだか…」

数度の攻撃を与えたはずだが、グーレイグは全くの無傷。
切り傷どころか、かすり傷一つないというのは、流石に呆れた。
が、相手が回避・防御という行動をとっている以上、効果があるはず。
ならば、相手が力尽きるまで、愚直に攻撃を重ねていくしかない。

「――解放せよ」

呼びかけに、破邪の剣が反応し、炎を放つ。
しかし、さすがに見切っているらしく、グーレイグはそれを横に飛んでかわしながらカシムに肉薄し、その顔面を打ち抜こうと拳を振るう。

「おらああああっ!!」

が、それより一瞬だけ早く、カシムの拳がグーレイグの鼻面に突き刺さった。
僅かに後退するグーレイグに、迸る炎が追い討ちをかける。

「…っ!」

直撃し、大きく吹き飛んだ。
受身を取りながら、カシムを見据えるグーレイグの瞳には、疲労も驚きも見られない。

「…やっぱ、気分悪ぃな」

「なら、殴るな」

違いない、とカシムが笑みを漏らす。
対するグーレイグも、やはり薄く笑みを浮かべる。
――理解こそ出来ないが、好感の持てる相手。
それが、お互いの抱いた、殺し合う相手の寸評であった。

「一つ聞いて良いか?」

「ああ、いいぞ」

「――どうしてお前、フォズ様を殺そうとするんだ?
 過去に、大神官がらみで何があったんだ?」

「……」

黙って、近くの地面を指刺す。
反射的にカシムが目を向けると、そこにあるのは小さな――墓。

「そして、もう一つ」

今度はフォズを――いや、フォズの隣にある墓を示す。

「…墓、か?」

「そうだ」

ゆっくりと、フォズの方――墓のある場所まで、歩き出す。
慌ててその後を追うカシム。

「…グーレイグ、さん」

フォズが、呼びかける。
グーレイグは黙ってフォズの顔を見て――すぐに、墓へと目を向けた。

「これは、オレの師父の墓だ」

呟くように、語る。

「オレの師父は――ゴッドハンドに、殺された」

ゴッドハンド。
バトルマスターとパラディン。剣の騎士と盾の騎士。
相反しながらも、根を同じとする二つの職を極めた時に開かれる、神位の技を会得する、神の戦士。

「――ダーマの大神官が転職の儀を行わなければ、死ななかった」

ギリ、と悔しげに唇を噛む。
噛みながら、遠い日を振り返る――。









「…母さんの…父さんの仇……!」

突然現れたその男は、何の躊躇いもなく、俺の体を貫いた。
――ごぷり、と血の塊を吐きながら、俺は笑った。

「……成程。ゴッドハンド。神の戦士か。
 ――そう言えば、ここはダーマの近くだったな。迂闊だった」

「……!!」

剣を抉るようにして更に奥深く突き刺される。
更に口から大量の血が流れた。
――俺はもうすぐ、死ぬのだろう。
それを認識してはいるものの、何故か、俺に焦りとか後悔の情はなかった。
だから、思ったままのことを口にする。

「理由が納得いかないが、まあ…仕方ないか」

「!!――ふざけるなっ!!」

何が気に入らないのか、神の戦士は剣を引き抜き、更に心臓へと突き刺す。
――さすがに、今のは効いた。
俺の体が、ぐらりとゆらぐ。
何となしに横を見ると、グーレイグが今にも泣きそうな顔で立っていた。
…ここでようやく、俺の心に後悔らしきものが浮かぶ。

「…すまんな、グーレイグ。嫌なものを見せてしまって。
 ――全く、不意打ちで死ぬとは我ながら情けない」

自嘲する。するしかない、というのが本当のところだが。
剣が抜かれる。俺の体は、俺の意識とは無関係に、まるで朽ちた巨木のようにぐらり、と倒れた。
グーレイグが、駆け寄ろうとする音。が、それは途中で止まり、代わりに戦士に問いかける声。

「…どうして、師父を殺した!」

「敵討ちだ。…こいつは、俺が留守の間に、俺の父母を殺した!」

叫ぶように、神の戦士が返す。
――父母を殺した、といっても、俺に心当たりはない。
そもそも、人間を殺したことなど一度もなかったし、殺すほどに接点があったわけでもない。

「留守であったならば、何故分かる!
 師父ではなかったかもしれないだろう!?」

もっともな事を言う。
が、神の戦士はそれに怯むことなく反論する。

「俺の父母は、尋常じゃない力の持ち主に殺された。
 そして、その頃、尋常じゃない怪力の怪物が、この森に暮らしていた!
 こいつだ!!
 こいつは、何の罪もない、ただの木こりだった父さんと母さんを…!!」

悲壮感漂う叫び。だが、その内容は自己完結した、単なる思い込みに等しい。
まあ、こんなことだろうとは思っていたが。

「…お前は森の西に住む木こりの息子か?」

唐突に、グーレイグが尋ねる。

「…そうだ。何故知っている?」

返す言葉は、驚きに満ちている。

「そうか――」

グーレイグは静かに呟いた後――。

「ぐ……うっ!?」

何かを貫く音。
しばらくたって、何かが滴り落ちる音。
――まさか、グーレイグ――

「…お…まえ……!」

「悪いな、神の戦士。お前の父母を殺したのは――どうやら、オレらしい」

「な…!?」

神の戦士は、恐らく内心、驚きで一杯だろう。
だが、俺の心はそれを更に上回り、はちきれんばかりに驚きが詰まっている。
――まさか、こいつが。無口だけれど優しかった、こいつが――。

「3年前だったか。森の西の方にいた家族がな、オレを殺そうとした。
 しかもその理由が――オレがバケモノで危険だから、だそうだ。
 その時、一人の少女が一度死に掛けた。
 …そして今、お前は、死にかけたその子を――今度こそ、殺した
 俺の師父と、一緒に」

――違う。まだその少女は、死んでなど――
そう叫ぼうとするも、出てくるのは音ではなく、命の雫だけ。

「お前は、ゴッドハンドだそうだな?
 どこで聞いたのかは知らないが、良い判断だ。
 オレ達は魔の血族。普通の人間では、頑強な肉体の前に平伏すのみ。
 それに打ち勝てるは、魔に比するほどの力を持つ戦士に他ならない」

淡々と、説明を続ける。

「ゴッドハンドは、永い修練の果てにようやく辿り着ける至高の一だ。
 おそらく、この3年は死ぬような思いで修練を積んできたのだろうな。
 ――その結果がこれだ。貴様が死に、無関係な男と少女が死に、お前の両親 を殺したバケモノは、笑顔で貴様の胸を貫いている」

気配は、既にグーレイグのものだけとなっている。
けれどグーレイグは、狂ったようにその男へ語りかける。

「が、安心するが良い。お前は、復讐を成し遂げた。
 オレの師父と一人の少女は、お前の父母と同じように、今宵、死んだ。
 ――良かったな。これで、満足だろう?」

何かを投げ捨てる音。
…やがて、静かに、グーレイグが俺の所へ歩み寄ってくる音。

「……グーレイ…グ…」

「師父!?」

生きていたことが意外だったのか、その声には驚きと希望が満ちていた。

「――!」

――だが、すぐにこの身が死に体であることに気がついたらしい。
息を呑む音。――あまり見た事がないが、悲しげな表情をしているのだろう。
手に取るように分かる。と、そこでようやく気がついた。

「…ああ……そうか……」

「…どうかしたんですか?」

俺はクックックと、皮肉気に笑ってから、こう言ってやった。

「――なに…唐突に…答えが…分かった…だけ…だ」

「答え…?」

「ああ――俺なりの…答えが」

そう。単純なことだった。
星空の下、俺が解けず彼女が解けた疑問の答え。
その答えは――今、ここにあった。

「……師父。……墓はどこに?」

慰められるのは嫌い、と言ったことを律儀に覚えていたのだろう。
ストレートに聞いた。

「この近くに花畑があるだろう?あそこに立ててくれ。
 たとえ行先が地獄でも、天国にいるような気分になれる」

冗談めかしてそう言う。
が、グーレイグはわかりました、と呟くと

「師父、ごゆっくり、お休みください。…もう、苦しまないように」

…そうだな。いい加減、苦しみ飽きた。
もうそろそろ、眠ってもいい頃だろう。
だが――最後に、一つだけ不安なことがあった。
――だから、これだけは言わないと。

「――ああ、それじゃあな、グーレイグ。
 お前も、幸せに生きろよ――」

お前には、そうする権利も、理由もある。
俺のような生を歩むことがないように、今まで信じさえしなかった神に祈る。

「師父……」

目を開けて、グーレイグの顔と、まるで変わらない星空を、視た。
――そして、目を瞑る。
――温かい雨が、頬に、落ちた。









「…オレは、師父の敵をとることにした。
 だが、相手がいなかった。
 殺した本人はもう死んでいるから、もう殺せない。
 それに、そいつが師父を殺したのには理由があった。
 ――けれど」

「フォズ様は、何も理由がないのにいたずらに復讐に加担した。
 だからフォズ様に復讐することにした、と?」

身勝手な理論。
もっとも、グーレイグ自身も身勝手であることは承知している。
承知しているからこそ、この森から出ようとはしなかった。
ダーマの近くにあるこの森。
来る可能性は低く、しかし来ないと否定することはできないこの場所で。
いつ来るか分からない復讐の日を待ち望みながら、いつか、この花畑で静かに眠ること。それが、グーレイグの望みだった。
なんとも半端だとは思うが、それが最良だとも感じていた。

「……できれば、そんな機会が訪れてほしくなかった。
 それでも、それがオレの生きる意味だから。やらなければならない」

「――退く気はないんだな?」

「お前と同じだ。そんな考えすら湧かないな」

「…いいだろう。なら、覚悟はいいな?」

――カシムが再び距離を取って、構えを取る。
対するグーレイグは、目を瞑り――開いた時にはもう、戦士の顔をしていた。

「――行くぞ!」

叫びと共に踏み込み、グーレイグの間合いの外から剣を振るう。
狙いは――喉元!

「……」

グーレイグはその一撃を首だけを仰け反らせて回避し、そのまま軽やかなフットワークで一気に間合いを詰め、怒涛の連打を開始する。

「――!!」

その嵐を、剣で受け流し、身を捻らせて回避し、鎧で防御し、何とか致命傷を押さえ込む。
だが――

「ふん!」

拳の連打に混じった、突然の脚払い。
カシムのバランスが崩れる。

「しま――」

倒れ込むカシムの顔面目掛けて、渾身の一撃が放たれる。
――まずい、やられる!

「てりゃああああああああああっ!!」

突然、木陰から何者かが勢い良く飛び出し、そのままグーレイグ目掛けて飛び膝蹴りをお見舞いした。
グーレイグもこの一撃は予想していなかったらしく、大きく仰け反る。
その間にカシムは受身を取って、グーレイグから距離を離した。
と、乱入者が叫び声をあげる。

「フォズ様!!ご無事ですかっ!!?お怪我は?変なことはされてませんね? 生きてますね?頭、大丈夫ですね!?」

「…お前こそ、大丈夫かよ」

言いつつも、カシムの顔には笑みが浮かんでいる。
乱入者――昨日大騒ぎしていた女神官は、フォズ、カシム、グーレイグの順に目を向けて、カシムにこう尋ねた。

「カシム。私の美しい救出劇をそんなに邪魔したいんですか?」

「……。ま、まあいい、助かった」

「で、あいつが敵ですね?」

「そうだ。フォズ様を狙っている。
 俺が押さえている間に、フォズ様を連れて逃げてくれ」

女神官はこくり、と頷くと、フォズの元へと走り出す。

「逃がすか!」

「ぐっ!?」

瞬時に回りこんだグーレイグの一撃によって、吹き飛ばされた。

「おいおい…あいつ、あんなに速かったのかよ…」

「っつつ……カシム!私を殺す気かあああああああああっ!!」

「あー……すまん」

軽口を叩いてはいるものの、女神官のダメージはかなり大きい。
回復するまでは動けそうもないだろう。

「カシム!か弱き乙女達を守りなさい!」

「か弱き乙女ってのはフォズ様と……誰のことだ?」

「無論、私です!」

自分で言うかと呆れつつ、カシムは大きく頷いた。

「サポートは頼む」

「任せなさい!あなたはともかく、フォズ様には指一本触れさせません!」

「――いい返事だ。じゃあ、行くぞ!!」

言うや否や、カシムが再びグーレイグ目掛けて、凄まじいスピードで突っ込んで行く。それに応えるかのように、グーレイグも突進を開始。
一瞬にして両者の距離は詰められ、両者同時に怒涛のごとき攻撃を展開する。

「……っ!」

「……!」

抉る魔手。翻る刃。唸る拳圧に煌く剣閃。
嵐のような一太刀に、波浪の如き一撃が重なる。
――平和の証たる花畑の中心に、死の旋風が吹き荒れる。
両者共に、放たれた必殺の数は既に10を上回っている。
しかし、二人は倒れることなく、未だ中心で人外の攻防を繰り広げていた。

「でやああっ!!」

タイミングをずらしてはなった大降りの一撃と

「はあああっ|!」

心臓を穿たんとして放たれた一撃が激突する――!

「……チッ」

勢いを殺しきれず、カシムが後ろに跳ぶ。

「――!」

対するグーレイグもまた、後退を余儀なくされた。
大きく跳び、再び構え――

「む!?」

と、グーレイグの足元から、突如閃光が迸る。

「ぐああああああああっ!!」

爆音と共に、グーレイグがカシムに向かって大きく吹き飛ぶ。
絶好の機会とばかりにカシムが構えるが、しかしそれより早く空中で受身を取り、一瞬にして先程の位置まで戻る。

「――やりますね。これは私が知る中でも、かなり高度な魔法なんですが」

いつの間にか、グーレイグの背後。
カシムの視線の先には、神官長の姿があった。

「神官長!?どうしてあんたが…」

「神官長!どこ行ってたんですかっ!!」

「どこぞの無鉄砲な馬鹿者を連れ戻しに。
 で、その途中に追手を撒こうと少し張り切りすぎて迷ってしまいました」

いつもと変わらない調子で、神官長が告げる。
その顔には緊張とか驚愕とか、そういうものは感じさせない。

「――慕われているんだな。フォズ」

返答はない。
が、元より期待していたわけでもないらしく、改めて構えを取る。

「――!」

そして疾風の如く突進する。
向かった先は――。

「神官長――逃げろ!」

詠唱の時間などない。加えて、彼の攻撃ではヤツは止められない。
しかし――

「お断りします!」

言うや否や、手にした杖を振りかぶる。
同時に、叫んだ。

「雷よ!!」

振り下ろす。

「――!」

破邪の剣のそれよりも更に巨大な炎の波が、虚空を走る。
咄嗟にグーレイグは後退し、これをかわす。
しかし、その背には既にカシムと、立ち直った女神官が迫る――!

「はああああああああああっ!!!」

「てやあっ!!」

魔神の如き強烈な剣戟と、勢いをつけて放たれた正拳突きが直撃する。

「――っ!!」

が、グーレイグは僅かに体勢を崩しただけに止まり、すぐさま反撃。
狙いは、正拳突きの反動で、思うように動けない女神官――!

「危ない!」

「きゃ!?」

咄嗟にカシムが女神官を蹴り飛ばし、顔面を貫かんとして放たれた一撃は空を切る。
だが、その代償として、カシムに致命的な隙が生まれた。
当然そのチャンスを歴戦の戦士であるグーレイグが逃すはずもなく、猛烈な速度で放たれた拳がカシムの顔面を――

「メラミ!!」

巨大な火球が、グーレイグの右足に炸裂する。
踏みとどまったもののバランスを崩し、カシムへの攻撃も外れた。

「カシム!大丈夫ですか!?」

「ああ、何とか――」

顔を上げる。
いない。
グーレイグの姿は、どこにもなかった。
――いや、あった。
数メートル先。神官長の背後――!

「伏せろ!」

その呼びかけは間に合うことなく――

「ぐ……っ!!?」

グーレイグの拳が、神官長の腹を貫いた。

「…え……し、神官長…!?」

女神官の呆然とした声。
――恐らく、目の前の出来事が未だに信じられないのだろう。
いくら戦士並みに腕が立つとはいえ、彼女は死を見慣れているわけではない。
戦場ではありがちな、身近な者の死を、受け入れるだけの心ができていないのだろう。

「て……」

無論、カシムにとっては見慣れている光景だ。
1年前の件を持ち出すまでもなく、死は彼にとって慣れ親しんだものだった。
友人だろうが親友だろうが恋人であろうが、死は無慈悲かつ平等に降り注ぐ。
突き詰めれば「殺す」ことを生業としている戦士にとっては、それは当たり前のことである。
そして戦士が組織めいたものである以上、仲間の死一つで動揺するわけにはいかない。個々の迷いは、全体の死に直結するからだ。故に戦士は誰が死のうとも立ち止まらずに、己の目的だけを果たさなければならない。
悲しむのはその後であり、今ではない。
戦場では「全」を守るため、己を含めた「個」に対してはどこまでも非情でなくてはならない。
それをカシムが承知していないわけもない。
――けれど。けれどもなぜか、その時は。
ただ純粋に。単純に。そして愚かにも。
助けたい。
そう、思ってしまった。

「てめえええええええええええええええっ!!」

「……」

グーレイグの意識が、突撃してくるカシムに注がれている。
その、僅かな間に。

「…イオ、ラ」

彼の詠唱が、完成した。

「……!」

手加減なしで放ったのだろう。鼓膜どころか、脳まで響き渡る轟音。
しかも、爆発は至近距離。
おかげで、グーレイグの腕からは抜け出せたものの、酷い怪我を負っている。

「…っ!い、いたたた…」

グーレイグから大分離れたところに、落下した。
腹からは止め処なく血が溢れ出して来る。
と、突如、視界の隅に、見慣れた水色の髪が映し出された。

「フォズ大神官…!」

「動かないで下さい。
 …分かっています。私が足手まといになっていることは」

冷静な声で、そう告げる。

「けれど、ただこのまま眺めているだけなんて、我慢できません!
 戦うことができないのなら、せめて」

その先は言わなかったけれど、神官長は理解した。
――せめて、誰も死なないように――

「――ふふ」

フォズ大神官の元で働いてから、まだそんなに月日は経ってはいないが、こういう時の彼女が、途轍もなく頑固だということは、良く知っている。
だから、彼はあえて反論せず、その代わりにこう言った。

「――ええ…お願い、します」

フォズは一つ頷いて、ベホマの詠唱を開始した。
――遠くでは、カシムと女神官が、グーレイグと戦っている。

「……」

ちら、と目だけをカシム達の方へ向ける。
退くことなく、怯むこともなく、ただ一人の命を守るために。
――あの時と同じだ。
大神官を、ダーマ神殿を守るために、多くの命が犠牲になった。
多くの命をもってして、彼らが守った命は生を繋いだ。
だが、果たして彼らが守ったのは、本当に「大神官」であったのだろうか。

「――」

懸命に、部下にすぎない自分のために、癒そうとしている少女を視る。
そして、思った。
――それはきっと、違う。
中には、「大神官」を守るために戦った者もいるだろう。
――けれど、彼女を知る者の多くは。
大神官ではなく、たった一人の。心優しき少女のために――

「…さて、そろそろ行きましょうか」

傷が塞がったのを視認してから、ゆっくりと立ち上がる。
…身体はまだ痛むが、動けないほどではない。

「え…まだ、完全には」

何かを言おうとしたフォズの口に、人差し指を当てる。
思わず押し黙ったフォズを見ながら、神官長は悪戯っぽく笑った。

「皆が戦っています。僕も、戦わないと」

「…私のためですか?」

「ええ。大神官ではなく、フォズという、一人の少女のために」

驚いた表情のフォズを残して、駆け出す。
――我ながらクサイ台詞だ。
自嘲する。だが、まあ。たまにはこういうのも悪くない。

「凍てつく瞳もつ冬の女王よ。冷たき腕もつ氷の魔神よ。
 我、ここに汝が領域犯せし者に裁きを与えんことを欲す――」

駆けながら、呪文詠唱。
――カシムと女神官が、迫る神官長の姿に気付く。

「暖かき春は古に。冷たき冬は永久に。
 遥かなる平穏かき乱す罪人は台座に。
 汝が意思を代行す断罪者はここに――」

天が蒼く染まり、虚空に氷の刃が形成される。
神官長はカシムと女神官に、逃げろ、と手振りで合図した。

「!」

それに気付いたカシムは、相手の放った打撃を防御しつつ後ろに跳び、それを見た女神官も、グーレイグから大きく距離を取る。
警戒し、動きを止めるグーレイグ。

「彼の地より、氷雪の槍、降り注がん。
 其に、安らぎの終焉あれ。
 ――マヒャド!!」

形成された無数の氷刃が、一斉に降り注ぐ。

「――!?」

咄嗟に腕で顔面をブロックするグーレイグ。
その隙間目掛けて、カシムが呪文を解き放つ。

「――ヒャダルコ!」

貫きこそしなかったものの、巨大な氷の塊が、グーレイグの腹を衝く。
浮き上がった身体に、氷の豪雨が追い討ちをかける。

「っ…」

――氷が全て降り注ぎ終わった後。
白い靄の中、やはりグーレイグは無傷で。
しかし、よろめきながら立っていた。

「これで――」

勢いをつけて、女神官が一気にグーレイグの懐に飛び込む。
本来ならば自殺行為。
が、先程の一撃がよほど重かったのか、グーレイグは呻いたまま動かない。
その隙に、女神官がぐるりと身体を一回転させ――

「どうだっ!!」

体重の乗った、岩をも砕かんばかりの威力を持った回し蹴り。
恐らくは、バイキルトをかけていたのだろう。
その一撃は、爆発音にも似た轟音と共に解き放たれ、グーレイグの脾腹に突き刺さった。

「ぐお…っ!」

受身も取れぬまま、近くにあった木に激突するグーレイグ。
だが――

「…これでもなお無傷ですか」

グーレイグがゆっくりと起き上がる。
あれだけの猛攻を受けてなお、外見は何の変化もない。
さすがに、背筋に寒気が走った。

「化物が…!」

思わず、カシムが呟く。

「――バケモノ、か」

立ち上がりながら、グーレイグが呟きに返答をする。

「そうだな。確かにオレはもう、バケモノだ。
 …死んだ師父は最後まで人間であり続けたが、誰かの血に塗れたあの時から
 オレはもう人外となった」

「……?」

「否、あるいは生まれた時から、オレはバケモノだったのだろうな。
 鋼鉄すら粉砕する竜の如き力に、人間では傷つけられぬ悪魔の肉体。
 そして、不死身とさえ称された無尽に等しき生命力。
 これら全てが生まれつきのものだ。これを、異常でなくて何と言う?
 こんなモノを、バケモノと呼ばずして何と呼ぶのか――!」

悔やむように。自嘲するように。哀しむように。
その言葉に、どんな意味が込められているのか。

「そう、オレはバケモノだ。生まれた時から、ずっと。
 ――なら、人間ぶってても意味はない。
 バケモノは、バケモノらしく戦うとしよう」

吹っ切れたような顔を浮かべる。
構えを解く。瞬間。

「え――」

グーレイグが消え、背後に、何かの気配。
カシムがそれに気付くと同時に、背中に強烈な衝撃。

「ぐ…っ!!」

カシムが気付いた時にはもう、身体は木に叩きつけられていた。
何とか立ち上がって周囲を横目で見るが、既に二人とも攻撃を喰らっていたらしく、女神官は目を瞑ったまま動かず、神官長の姿は見えない。
そして、正面からは――。

「くそっ!!」

迫るグーレイグの拳を、横に転がりながら何とか――

「な…!?」

一瞬で間合いを詰め、腹を蹴られる。
それはどれだけの威力を持った一撃なのか、カシムの身体は遥か上空へと放り上げられた。

「――っ!!」

受身すらも取れず、無様に大地へと叩きつけられる。
が、ここで倒れるわけには行かない。すぐに追撃が来るはずだ。
カシムは無意識のうちに立ち上がり、本能的に背後へと剣を構えた。だが、一撃はいつまで経っても襲ってこない。

「…まさか!」

背後を振り返る。
――女神官が、頭を掴まれて吊り下げられていた。
顔には苦痛の色が浮かんでいる。恐らくは、このまま頭を握りつぶすつもりなのだろう。

「やめろおおおおおおおおおおっ!!」

しかしグーレイグは振り返ることなく、更に手に力を――。

「!」

女神官を放り投げ、前方の薮目掛けて拳を振るう。
それを大きく飛び跳ねてかわしつつ、すれ違いざまに肩口に一閃。
傷こそ与えられなかったが、剣が触れた部分が、凍結を始めた。

「――おいおい、冗談だろ!?」

カシムの口から、驚愕に満ちた言葉が生まれる。
だが、かのカシムに「冗談」とまで称された人物は、それに意を解することなく、更に背後から一撃。

「…!」

浅くかすらせただけで、すぐさま背後へと跳ぶ。
直後、今までいた空間を音速に迫る速度で脚が過ぎ去る。

「待たせました――ど、どうしてあなたが!?」

神官長の言葉にも応えず、その人物はただひたすらに攻撃を続ける。
グーレイグの注意も、今は完全にそちらに向けられていて、数メートル先に倒れている女神官や、突っ込んでくるカシムには目もくれない。

「――まずい!」

再び、あの神速をもって背後へと回りこむ。
その頭を砕かんと、振るわれる拳。

「――!」

それを伏せてかわし、空振る拳に更に一撃。
爆ぜるような速度で股の間を通り過ぎる。その途中、両足に二撃。
その全てが、斬撃に一瞬遅れて凍結する。

「くそ…っ!!」

ここにきて、グーレイグが初めて焦燥した声を搾り出す。
――信じられないことに、彼女はグーレイグと互角の戦いを演じていた。

「どうしてお前がここにいるんだ――ネリス!!」

カシムが呼びかけるも、彼女――ネリスはこくりと頷くだけで振り向かず、目の前に立ちはだかるグーレイグを見据える。
直後、拳が振るわれるが、素早く後退し、やはり空振りに終わる。

「…お荷物は嫌だけど、誰かに任せっきりにするのはもっと嫌だから」

それだけ言って、再びグーレイグとの攻防に戻る。

「――」

見送るカシムの顔は――なんとも、複雑なものだった。

「カシム!どうしますか!?」

「…俺達が手を出すわけにはいかない。
 あいつは機動性を重視した戦いをしている。
 俺達が下手に攻撃を加えれば、それだけあいつが動ける範囲が狭まる」

「では――」

「…ネリスが戦っている間、俺達は無力な観客ってことだ」

悔しげに俯くカシム。
それに構うことなく、神官長は治癒呪文を詠唱するフォズの補助をしようと、女神官に近寄った。

「――」

カシムは顔を上げ、ネリスの姿を見た。

「――はあっ!!」

拳を空振りした一瞬の隙に、胴目掛けて一撃を放つ。
当然のように凍結する。
――カシムが見た所、手にした得物は妖精の剣。魔法がかかってこそいるものの、氷の属性は有していない。
となれば、あれは魔法戦士の使う剣技の一つ、マヒャド斬りだろう。
たしか、あの闘技場でネリスが主力の技として使用していた。
だが――あれは魂砕きの剣があったこそ、放てたものではなかったのか。
そんなカシムの疑問にはお構いなしに、更に一撃を加える。
その剣技は、闘技場で見たものよりも更に磨きがかかっていた。

「オオオオオオッ!」

咆哮と共に、疾風怒濤の連続攻撃がネリスに迫る。
が、ネリスはサイドステップをまじえながら、それを華麗にかわし、さらに腕へ拳へ剣戟を加えてゆく。

「――く…っ!」

一見すれば、一方的にネリスが押しているこの戦い。
だが、ネリスにしてみれば、いつ命を失ってもおかしくない、綱渡りのような戦いだった。
攻撃をかわす度に、自分が徐々に追い込まれて行くのが容易に理解できる。

「つあっ!!」

それにせめて抵抗しようと、剣で一撃。
しかし、いとも容易く弾かれる。

――元より、ネリスは戦闘という分野においてなら、カシムどころか側に倒れている女神官よりもはるかに劣る。身体能力は無論のこと、知識や技術といったものにおいても、彼らのほうが圧倒的に上だろう。
だが、仮にもネリスはあの闘技場で、何百もの猛者達と戦ってきた身である。魂砕きの剣に操られていたから、その時のことは良く覚えてはいないが、身体はしっかりと覚えていた。

「はっ!!」

放たれた拳を、身を捻ってかわしつつ、回転によって威力を増した一撃を、首筋に叩き込む――!

――とはいえ、戦ってきたのはあくまで人間のみ。
故に、魔物に対しては戦闘経験が全くと言っていいほどない。
闘技場で戦った魔物はそう強くなかったからそれでも十分だったが、これがアントリアのような強敵だったならば、容易く灰燼にされていただろう。
だが、相手が人間であるならば話が別だ。
闘技場で戦った人間は、それこそあらゆる技を使いこなしてきた。魔法,鞭,斧剣,槍,鉈。無論、中には拳をもって戦いに望んだものもいた。
それらの一流の猛者と戦ううちに、人間の筋肉強度,骨格,反応速度,詠唱速度といった人間に関するデータが積み重ねられ、その結果、ネリスの技術は対人戦という分野に特化したものへと進化していった。
ザジと対した時は未だ未完成であったそれも、今は完成にまで至っている。
――つまり、ネリスは相手が人であるならば、絶対無敵の剣士となる――!

「…っ!!」

拳圧によって生まれたかまいたちが、頬を掠める。
血が流れたが、意識して気にしないようにして、腕に一撃。

――だが、そのネリスですら徐々にではあるが劣勢へと追い込まれていった。
その最大の理由は、グーレイグの不死身ぶりにある。
相手が魔物でなく人であるならば、通常は一撃。多くてもニ〜三撃で殺せる。
だが、グーレイグは既に十回以上急所を攻撃されてなお、倒れるどころか傷を負った様子すらない。
元々少ないネリスの体力が尽きるのは、もはや時間の問題だった。

「――くっ!」

「ネリス!!」

――このままでは、後数度の打ち合いの後、一撃をもらう。
通常の相手ならば全く問題はないだろうが、こと相手がグーレイグであるならば、それは死を意味する。
――ならば。

「――?」

この局面に来て、大きく距離を取るネリスを訝しむグーレイグ。
が、すぐに思い直して、ネリスの背後へと移動。
心臓目掛けて真っ直ぐに振るわれる拳。
対するネリスは、それに剣を重ねるようにして翻す――!

「なに――!?」

「あ…っ!」

予測どおり、剣もろともネリスの身体はいとも簡単に弾き飛ばされた。
剣にもヒビが入り、これではまともに打ち合うことはできない。
それでもグーレイグは、容赦なく攻めあがろうと突進の構えを――。

「――?」

取ろうとして、動きを止める。
そして、先程ネリスの一撃を受けた拳を見た。
拳には――何もない。
先の一撃がマヒャド斬りであるのならば、拳は氷で包まれて然るべきである。
が、現在、拳にはそのようなものは見られない。
――と、一撃を貰った拳の上を、僅かに電流が奔る。

「――」

上空を見上げる。
空は晴天。にもかかわらず、自分の頭上のみに雷雲が浮かぶ――!

「――!」

それに気づいた時には既に遅く。

「秘剣――稲妻斬り」

ネリスの言葉と同時に、雷がグーレイグの身体を射抜いた。

「ぐあああああああああああああああっ!!!」

――グーレイグの口から、苦悶の声が放たれる。
雷は全身に氷を纏うグーレイグの身体を容赦なく蹂躙し、身体のあらゆる部分を、電流が疾走した。

「……」

――ネリスが使える最強の剣技、稲妻斬り。
本来ならば、精神力を大幅に使うため、確実な止めが期待される時以外には放たないことにしているのだが――今回は、あえて賭けに出ることにした。
これほどの強敵を相手にして、堅実な戦いなど望めるわけがない。

「う……」

思わず、片膝をつくネリス。

「大丈夫か?」

グーレイグから視線こそ逸らさないものの、心配そうな様子で、カシムが話しかけてきた。
ネリスはそれに、手を振って答える。

「――!?」

神官長と、回復した女神官、そしてフォズの驚愕の表情が視界の端に移る。
カシムは咄嗟にネリスを突き飛ばし、身を捻って背後に剣を叩き込む。

「ぐ――っ…!!」

剣を貫き穿ちながらもなお勢いを殺さず、拳はカシムの身体をまるで紙か何かのように吹き飛ばした。

「が…っ!!」

大地に頭を強打するカシム。
思わず一瞬、気を失いかけ――。

「…!」

気付いた時には、拳が目前まで迫っていた。







「いない!?」

傍らにいる神官長が叫ぶ。
視線の先を見ると、先程雷に飲まれたグーレイグさんの姿がなかった。

「――あそこ!」

女神官が指差す方向を見ると、ネリスさんとカシムの背後に、拳を構えるグーレイグさんの姿。

「――!」

カシムが気付き、ネリスさんを突き飛ばす。
そしてすぐさま剣で防御するも――。

「ぐ――っ…!!」

グーレイグさんの一撃は、剣を、胸当てを貫いてなお勢いを衰えさせず、カシムをこちらに向かって吹き飛ばす。

「――冷たき氷の支配者よ。我が呼びかけに応えよ」

咄嗟に、私は呪文の詠唱を始めた。
…私の得意とする、ヒャダルコの呪文。
既に、この戦いで何度か唱えようとしながらも、寸前になって発動を止めてしまった呪文。

「我、汝が子等の力を借りんことを欲す。
 汝が名、今一度我に貸し与えよ」

――きっと、私は怖いのだろう。
皆――カシムに神官長に、女神官にネリスさん、そしてグーレイグさん――が死ぬことが。
だからこそ、私は癒しという逃げに走った。
せめて誰も傷つかないようにと、自己弁護をしながら。
今まではそれでも良かった。傷つきこそすれ、誰も死なないでいる。
何度か危ない場面もあったが、その度に誰かが助けてくれた。
――さあ、どうする?
死神が、私の耳元でそう問いかけているような気がした。

「大地を覆いし白き子等よ。今一度、支配者の名をもって命ずる。
 冷たき蒼の針をもて、我が敵を処断せよ」

…詠唱は完了した。
後は最後に、魔法の名を叫ぶだけで、呪文は具現する。
…なのに、私の口は震えるだけで、決して言葉を紡ごうとはしない。
そう、今までは。

「が…っ!!」

カシムが、地面に叩きつけられる。
それを追うように、グーレイグさんが凄まじい勢いで向かってくる。
見る――ネリスさんは動けない。
見る――神官長は、呪文を詠唱しているが、多分間に合わない。
見る――女神官は、目の前の光景を、ただただ呆然と眺めている。
見る――カシムは息も絶え絶え。今にも死にそうだった。
見る――グーレイグさんの瞳には、殺意だけが煌いている。
見る――私の手は、震えていた。

――こんな時。
こんな時、あの人達だったならどうしただろう。
いつか私を救ってくれた、あの人達なら――。

「これは、親友の受け売りなんだけど――」

一体、どうしたのだろうか。
優しく、強く、そして気高いあの人達なら。
この命の天秤を、どう扱っただろうか。

「たとえどんな状況。どんな時であろうとも――」

あの人。不思議な空気を纏ったあの人はなんと言ったか。
全てが終わった後、悟ったように、何と呟いたか。

「選ぶのなら、後悔のない道を。
 後悔するしかないような道しかないのならば――」

――せめて



――せめて、自分が正しいと信じる道を――



「――」

見据える。
既に、グーレイグさんとカシムの距離はかなり狭まっている。

覚悟は、決まった。

「――ヒャダルコ!」

叫ぶ。と、同時にグーレイグさんの腕を、巨大な氷塊が突き上げた。

「…!」

轟音を立てて、目標を外した腕が近くにあった木にめり込んだ。
けれどグーレイグさんは追撃をしようともせずに、驚いた様子で私のことを見つめている。

「メラミ!」

神官長がメラミを叩き込む。
それを腕を振るって弾き飛ばし――その隙に、女神官がカシムを救出する。

「…大丈夫ですか、カシム?」

「げほ…な、なんとか」

グーレイグさんは再び構えを取り――。

「そうか」

そのままの状態で、呟いた。

「戦えるんだな、フォズも」

「…ええ。ようやく覚悟が決まりましたから」

「それは残念だ。できれば最後にしたかったんだが」

言うや否や、こちらに向かって勢い良く突っ込んでくる――!

「フォズ様!」

「…!雷よ!」

グーレイグさんの側面から、解放された炎が襲い掛かる。

「――む」

さすがに警戒したのだろうか、振り払わず、大きく後ろに跳んでかわす。
その隙にと、神官長はイオラの詠唱。
だが――

「神官長!魔力はまだ残っていますか!?」

「――はい、魔力だけならまだまだ十分残っています!」

「では、マヒャドの呪文を!
 カシムと女神官は、グーレイグさんを抑えていてください!
 その後は、私が何とかします!」

――我ながら、なんとも無茶な注文。
グーレイグさんがどれだけ頑強なのかは、この場にいる誰もが良く知っているはず。
けれど彼等は

「お任せを!」

女神官はグーレイグさんに突進し

「了解!…ネリス、剣を!!」

カシムはネリスさんに呼びかけ。

「…死なないで!」

ネリスさんは剣を投げ。

「凍てつく瞳もつ冬の女王よ。冷たき腕もつ氷の魔神よ――」

神官長は、行動をもって返答とした。
――皆、私のために命を賭けて戦っている。
それなのに、私一人が命を賭けない理由なんてない。
だから、やらないと。
――救いがないのならせめて、私が正しいと思える道を――

「見果てぬ天の彼方におわす、光と聖の神々よ。
 遠き聖地に君臨す、星と命を統べるものよ。
 其の奇跡、ここに給わんことを欲す――」

カシムが剣を受け取ると同時に、グーレイグさんへと飛び掛る。
女神官も、怒涛のごとき攻撃にも怯むことなく、勇猛果敢に攻め立てる。

――グーレイグさんは言った。人間には自分を殺せないと。
グーレイグさんは言った。私が「ゴッドハンド」にしなければ、師父は死ななかったと。
これはただの直感なのだが――もしかしたら、グーレイグさんの師父もまた、グーレイグさんと同じように、不死に近い肉体をしていたのではないか。

「其が振るうは烈光の剣。其が灯すは煌きの焔。
 其が射抜くは暗黒の徒。其が導くは嘆きの子等――」

女神官さんが、吹き飛ばされる。
直後、カシムが、背後からグーレイグさんに斬りかかる。

――ゴッドハンドは神の戦士。
故に、相手が魔の者ならば、勇者に比肩しうるほどの力を発する。
恐らく、グーレイグさんの力の源は、魔の血脈にあるのだろう。
だからこそ、カシムの魔人斬りや、女神官の飛び膝蹴り,神官長のメラミは効果がなく、ネリスさんの稲妻斬りのみが効果を発揮したのだ。
古来より、雷は天。即ち神が降らせた断罪の光。
天は光、闇なる魔に拮抗しうるもの。
即ち、グーレイグさんに効果があるのは、光の力、輝ける雷のみ――!

「偉大なるものよ。我に闇払う、尊き光を貸し与えたまえ。
 我が身は未だ其に届かず。されど、其が御姿は我が身の内に」

カシムが吹き飛ばされるのと同時に、空から氷の刃が降り注ぐ。
振り払い、防御するも、ネリスさんによって凍らされた手足では上手く働かないらしく、いくつかが被弾する。しかし、命中した部分が凍りつくだけで、決定打にはなっていない。

――半年前、一人の戦士がゴッドハンドとなった。
何やら悲壮感漂う決意を秘めた瞳を前に、私は確か、こんなことを言った。
――ゴッドハンドは正義を貫く力を持った、神の騎士。
――だから、ゴッドハンドは誰よりも正義が何かを考えなければなりません。
そんなことを思い出す。
けれど、それは自分への詭弁なのだろう。
…私は確かに、彼の復讐の手段を与えてしまった。
どうしようもなかった、知らなかった、では済まされないことをした。
それは責められてしかるべきであり、この重みはずっと背負っていくだろう。
けれども、果たしてそれは。
誰かの望みを叶えることは。
本当に、間違ったことだったのだろうか――。

「悠久なる輝きの果てに、聖なる剣は我が手の内に。
 彼のものを捕えし無限の闇、永遠の光もて打ち砕かん!」

氷が形成された場所よりも更に高く。
天の頂が一瞬光り、遅れて雷鳴が鳴り響く。

――グーレイグさんは、優しく、そして強かった。
グーレイグさんの寂しそうな顔やあの嬉しそうな顔は、きっと忘れられない。
たった一晩の間だけ。けれど、その一晩は。
私の人生において、もっとも長い夜になるのだろう。

「フォズ様!そろそろマヒャドの攻撃が止まります――!」

「――!」

けれど、詠唱は未だ完成していない。
このままでは――。

「!!」

マヒャドが止み、同時にグーレイグさんが私が何をしようとしているのかに気付く。
咄嗟に私とグーレイグさんの間に入ろうとした神官長。
けれど、彼は易々とグーレイグさんに吹き飛ばされ、グーレイグさんは私目掛けて拳を――。
――間に合うか。
――否、間に合わせるしか、道はない!

「ギ――」

「はあっ!!」

あ。
駄目だ、間に合わない――


「……」


――だが、拳は私の手前で止まり、動かない。
見上げる。
グーレイグさんは――涙を、流していた。

「っ……!」

グーレイグさんは、泣きながら、再度拳を振り上げる。

――それがオレの生きる意味だから――

悟った。グーレイグさんは、戦いを止める気はない。
ここで私が攻撃を止めれば、容赦なく私の頭を貫く。

――やらなければならない――

私にとっての正しいコト。
誰もが幸福でいられる世界。
私の幼い頃からの理想。存在するはずのない絵空事。
それでも、追い求めていればいつか形に成るかもしれないと。
そうなったら、どんなに素敵なことだろうかと。いつも夢見ていた。
だから私は、出来る限り誰かの「願い」を叶えて幸福にすることで、その絵空事を現実のものにしようとした。

――慕われているんだな――

そのせいで、目の前の誰かの代わりに、他の誰かが不幸になった。
誰かの望みを踏み躙ってしまった。
そんなことは。ずっと昔から気付いていた。
けれども私は、その理想を、間違っていると認められなかった。
認めたら。そんなものがないと言ってしまったら。
そのために踏み躙った幸福に。願いに。
――何をもって償えばいいのか。
だからこそ、私は理想を追い続けた。
…そしていつしか、その絵空事は私にとっての「正しいコト」になっていた。


――これをバケモノといわずに何と――

「幸福」こそが私の「正義」
故に救いを求める人を、見捨てることなど私にはできない。
幸運不運は相対的なものだと理解している。
全ての生物が共通する幸福など存在しないと知っている。
それを追い求めるために生じた怨嗟も聞こえている。
それでも。
前に進むことこそが自分のできる贖いだと信じた。
神でない以上、誰かを救うたびに誰かを不幸にしてしまうのならば。
せめて、目の前にいる誰かを救おうと。
そう、心に誓った。

――せめて、自分が正しいと信じる道を――

グーレイグさんにとっての救いとは何か。
私が死ぬことなのだろうか。
ならば。
どうして、最初から私を狙わなかったのだろう。
どうして、振り上げた拳を止めるのだろう。
どうして――こんなにも悲しそうに涙を流すのだろう。
…そうではない。
私が死ぬことは、きっとグーレイグさんにとっての救いなどではないし、それでは誰一人として救われない。
ならば、何か。
グーレイグさんにとっての救いとは――。
……単純なことだ。考えるまでもない。
この道を進めば絶対に後悔するけれど。
それでも、この道こそが私の信じた「正しいコト」ならば。
終まで、前を向いて歩いて行こう。
最期にもう一度心に誓って。
――前を、見据えた。

――ああ、それはいいな――

最後に、グーレイグさんの姿を心に深く刻み込んでから、私は――

「――ギガデイン!!」

終わりの言葉を、叫んだ。

「――」

天が一瞬だけ激しく輝き、次の瞬間。

「――――!!」

天から降り注ぐ数多の光が、グーレイグさん目掛けて突き刺さる。

「ぐあああああああああああああああああっ!!!!」

轟音と高熱が周囲を巡り、終わることなき光が私の視界を白く――。







――そうして、私は敗北を悟った。

「……」

この中で唯一、自分を殺すことのできる手段を持つ少女。
そして彼女は今、私を殺す覚悟を持って、私の前に立ち塞がった。
――ここで殺さなければ、私が殺される。
――それは分かっているはず、なのに。拳が止まる。
…たった一晩。けれど、私の人生において、二番目に幸せな一晩。
その思い出をくれた少女を殺すことなど、私にはできない。

「っ……!」

けれど、私はきっと、復讐を諦めないだろう。
たとえこの場で殺せなくても、この存在が消えぬ限りはいつまでも、この花畑でその時を待ち続けるだろう。
――この少女は、きっとそのことをいつまでも思い悩むに違いない。
――だからここで、何もかも終わらせることにした。

「――!!」

少女が何と叫んだのか、私の耳には届かない。
けれど、その言葉が。目の前にいる優しい女の子が。
私の世界を終わらせるのだと理解し、それを受け入れた。

「――」

天から、雷が降り注ぎ、私の身体を打ち据える。

「――――――――――――――!!!!」

どこかで、誰かの叫び声。
それはひょっとしたら、私のものだったのかもしれないが、解らない。

「――――――――――――――!!!」

光の剣は、永いこと、私の身体を斬りつけていた。
私の罪を裁くかのように。
無慈悲に。容赦なく。どこまでも執拗に。
…その存在こそが、罪であるとでも断定するかのように。




―――――――――




――やがて、光が消えて。
――私の身体が、地面に崩れ落ちる。

「…グーレイグ、さん――」

少女の足音。そして、息を呑む音。
その驚きは私が生きていたことに対してなのだろうか。
あるいは――この優しい少女のことだ。
自分がやったことに対して驚きを感じているのかもしれない。

「――フォ、ズ」

目を向ける。
フォズは、何が悲しいのか涙を流していた。
――と、そこで、ふと気付いた。

「――ああ」

この光景は、あの時の再現だ。私の師父が死んだ、あの時と。
最後まで私のことを、私自身ですらバケモノと蔑んだこの身を、たった一人の少女として扱ってくれたあの人が、安らかな笑みを浮かべて往った、あの時。
師父は、答えを見つけたといっていた。
師父が死ぬ少し前、星空を眺めながら師父が言った疑問。
――なんで、俺は愛されなかったんだろうな。
私は、知っていた。知っていると、思っていた。
簡単なことだと。こんな力を持ったバケモノが、忌み嫌われるのは当然だと。
――ああ…俺なりの…答えが
だが、あの瞬間。満足そうな笑みを浮かべながら、師父はそう言った。
――師父の答えが何だったのか、ずっと解らなかった。
けれど――今。ようやく、その答えが掴めた気がした。

「そうか…そういう、ことか」

「…グーレイグさん?」

「…やっと、分かったんだよ。フォズ」

――いつかのような星空の下、私がフォズに言った疑問の答えが――

「簡単…な、ことだった」

――愛されないなんてことは、なかった。
目の前の少女は、わたしのために涙を流してくれる。
それはきっと、私を愛してくれているからなのだろうと思う。
この考えは決して自惚れでも、幻想でもない。
この涙は。あの日、私が流したものと同じものだったから。

「…グーレイグさん、貴女は、どうして…」

ぼろぼろと大粒の涙を零しながら、フォズはそこまで言って、言葉を止めた。

「…涙」

「え?」

「涙を流している友達を…殺せるわけ、ないだろ?」

師父を真似て、皮肉気な笑みを浮かべる。

「グーレイグさん…」

「馬鹿、泣くなよ。オレは、お前を――」

殺そうとした、そう言おうとして、フォズに遮られる。

「泣くに、決まってるじゃないですか!
 だって…だって、グーレイグさんは……!」

涙を流しながら、今にも壊れそうな顔で、それでも必死に。
フォズは、ただひたすらに私へと訴えかけていた。

「まだ…なのに……」

「……?」

「まだ…グーレイグさんは幸せになってないのに……。
 約束、したのに……!」

ああ――
今まで、少しも知らなかった。
この少女は――


――こんなにも、尊かったのか――


「あり…がとう…ござい…ます」

遠い過去に失ったはずの、自分が少女であった頃の話し方をする。
フォズがちょっと驚いた顔をしたのが可笑しくて、思わず、笑った。

「…フォズ」

「…はい」

「お墓…師父のと…もう一つ、ありました…よね?」

「…はい」

「あれは…私の、お墓なんです…」

一人の少女として扱ってくれた人が死んだあの日。
誰も、一人の少女として接するものがいなくなったあの日。
私は、師父のものと、もう誰も知らない少女のための墓を作った。
――この花畑にいるのは、ただのバケモノなんだ――
そう、自分を納得させるために。何の意味もない物を、作った。

「…中身、ないんですよ。あの…お墓。だから…師父から……離れた所…に」

――けれど、私の目の前には。
私をバケモノではなく、人間として扱ってくれる少女がいる。
…ならば、あの墓には意味ができる。
この私を人間として葬るのに、あそこ以上に相応しい墓なんて、きっとない。

「そこに…埋めて、下さい」

「……」

フォズは何も答えない。
ただ、瞳から雫を流しながら、真っ直ぐ私を見つめている。
――まるで、その言葉に、私の運命に逆らうような強い眼差しで。
と、

「お墓…」

「…はい」

「……師父さんの隣に移しても、いいですか?」

嬉しい申し出に、笑顔を浮かべながら、こくりと頷く。
つられたようにフォズも笑って、

「なら…後は私に任せて大丈夫です。
 これでもダーマの大神官。それくらいの作業、私一人でも十分です。
 ですから――」

「ゆっくり…?」

「――ええ、ゆっくりと。そして安らかに、眠ってください。
 もう、苦しまなくてもいいんです」

目を、空に向ける。
果てしない青空が見えた。
大地に向ける。
一面の花畑が見えた。
――――フォズに、向ける。

「……」

涙を流しながら――フォズは、優しい笑みを浮かべていた。

「フォズ…」

「……?」

「苦しくなんか…ありませんよ…。
 私は…幸せですから……胸いっぱいなんです……。
 だから、フォズ――」

意識が闇色に染まっていく。
完全に思考が塗りつぶされる前に、最期に言っておきたいことがあった。
大きく空気を吸い込み、その言葉を、口にする。
少女にせよ、バケモノにせよ。
私が紡ぐ最期の言葉は――きっと、これこそが相応しい。

「貴女も、幸せに、生きて――」

目を瞑る。
温かい雨と、頭に触れる、優しい温もりを感じながら――
私は、穏やかな眠りについた。














ある日の午後、女神官の声がダーマの一室に響く。

「神官ちょおおおぉぉぉぉぉ…!」

「何ですか、マリア。人をそんな恨めしげな声で呼んで」

そういう名前だったのかと、カシムが今更ながらに驚きの形相。
が、ネリスは興味がないのか元から知っていたのか、眉一つ動かしただけで視線を本に戻す。

「フォズ様が、フォズ様があああああぁぁぁぁ…」

「どこにもいない、と?」

「ぞうなんでずよぉぉぉ……!」

涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔をしながら、神官長に泣きつく。
神官長は苦笑しながら、よしよしとあやすように頭を撫でた。

「中庭は見たか?」

「え?」

カシムの突然の発言に、マリアが思わず顔を上げる。
…情けなくも、鼻水を垂れ流しながら。
ネリスが苦笑を浮かべながら、鼻をかませる。
…その光景は、手のかかる子供が親戚総出で世話されているようでもあった。
微笑ましいと言えば微笑ましいが――女神官は、今年で21歳だった。

「カシム。フォズ様は、職務中で……」

「何だ、知らないのか?今日はダーマはお休みなんだよ」

「へ?」

ぽかんとした表情。

「なんで?今日、何かあったっけ?」

「正確には昨日ですね」

ニコニコと笑いながら、神官長。

「どこぞのバカップル…いえ今は夫婦でしたか。が、大喧嘩を始めまして。
 止めに入った親衛隊の半数以上が戦闘不能になったので、安全のために、親 衛隊の皆さんが回復するまではお休みということに」

「あれはカシムが…!」
「あれはネリスが…!」

カシムとネリスが同時に叫ぶ。叫ぼうとして、笑顔を浮かべながら額に青筋を立てる神官長に恐れをなし、押し黙る。

「…じゃあ、フォズ様は中庭に?」

「今はそうですね。でも、あとしばらくしたら出かけますよ」

「?……ああ、あそこですか」

「そう。俺とネリスは留守番だけどな」

「自業自得じゃない」

ちょっと刺々しい口調で、ネリス。

「…良く言うぜ」

カシムが返すと、二人の間で再び火花が散る。
…この1年で更に、ネリスは逞しくなっていた。
それはあの戦闘で自信がついたからなのか、悲しみに飲まれないためのやせ我慢なのか。
カシムには判別がつかなかったが、元気なのはいいことだと思っているので、良しとしておいた。…いささか元気というか、気が強くなりすぎたような気もするが、それはご愛嬌と思うことにする。

「…それじゃ、私もフォズ様のお手伝いをしてきますね」

「ええ。フォズ様に迷惑はかけないようにしてくださいね」

「は〜い!」

女神官が、元気に駆け出して行く。
――穏やかな春の午後。今日もダーマは、呆れるほどに平和だった。













「…グーレイグさん、お久しぶりです」

花畑に立つ三つの墓標。
その前に立ち、フォズは友に呼びかけた。

――あれから一年。
毎日欠かさずというわけにはいかないが、それでもフォズは、暇さえあればここに訪れていた。
月夜の森。幸福な一晩に誓った、拙い約束。
それを守ることこそが、自分にとっての「正しいコト」であると信じて。
今日は、あれからちょうど一年。
つまり「彼女」の一周忌である。
…フォズは未だに、あの時のことを後悔することがある。
正しいコトだったと信じてはいるけれど。
それでもやはり、抱いた疑念を拭い去ることはできない。

――もっと良い道があったのではないか

――あの少女を助けることもできたのではないか

――後悔しない道を選べたのではないか

…その度に、否、と首を振る。
それは高慢にして身勝手な考えだと。
自分は最良の選択をした。
そうでなければ自分はこうしてここに立つこともできないし、平和を満喫することも、こうして花畑に訪れることもできなかった。
あの幸福な一晩を、経験することもなかった。
――何より、この命が産まれることはなかった。



…花弁を交えた風が吹き、思わずフォズは目を瞑る。
――開いた時には、目の前に笑顔が一つ。

「…ええ、久しぶりですね、フォズ。待ってましたよ」

穏やかな笑みを浮かべながら、グーレイグはそう言った。
先に済ませていたのだろうか。既に墓には、綺麗な花が添えられている。

「他の皆は?」

「神官長さんと女神官さんは、もう少し後で来ます。
 久しぶりの休みなんで、皆よりちょっと早く来ちゃいました」

悪戯っ子のような笑いを浮かべながら、フォズはそう言った。
それが可笑しかったのか、グーレイグが、プッと吹き出す。

「…何が可笑しいんですか」

「いや…フォズもまだまだ子供なんだな、って」

「……」

ちょっぴり不満そうな、けれどどこか嬉しそうなフォズを見て、更にグーレイグが笑う。

「……死んでから、今日でちょうど一年なんですよね」

ふと、彼女の師父の隣にある墓を見ながら、グーレイグが呟く。

「そうですね。一周忌です。
 けれど同時に、第一回目のお誕生日でもありますよ」

にっこりと笑う。が、グーレイグはなぜか複雑そうな顔。

「…私、肉体年齢は18なんですけど」

「いえ、1歳です。私よりずっと年下です」

ニコニコと笑いながら、フォズ。
と、ここでようやく、先程のことを根に持っているらしいと思い当たった。

「さっきのは…その、ごめんなさい」

「何ですか?私、まだまだ子供ですから物覚えが悪くって」

「…かなり根に持ってますね」

「何がですか?」

駄目だこりゃ、と、グーレイグは潔く諦めることにした。
…一周忌にして、誕生日。
うん、それも悪くない。なんて思いながら。


――あの日、本人を含めて誰もがグーレイグは死んだ、と思った。
けれど、グーレイグの身体は思った以上に丈夫にできていたらしく、実際のところは気絶で済んでいた。
…それを知った時のカシム達の顔が、壮絶なものであったことは筆舌に難い。
本来ならばすぐにでも止めを刺すべきなのだろうが、全員が満身創痍のあの状態で、あのグーレイグを殺す方法など存在しなかったし、加えて、襲われたフォズ自身がそれを望まなかった。
…が、それ以上に。
どういうわけか、あの場にいた全員が、彼女を殺す気になどなれなかった。
安らかな笑顔を浮かべながら、満足そうに眠りについていた少女。
その様は無防備で、弱々しくて、儚くて――殺意など、少しも湧かなかった。
――ともかく、グーレイグは生き残り――けれど、復讐は死ぬまで止めるわけにはいかないと告げるグーレイグに、神官長がこう言った。

「死ぬまで止められないなら、死んだことにすればいいんです」と。

――あの日。師父の復讐を決意したのは、確かに一人の少女だった。
そして、その意思を継いで、復讐を実行しようとしたのは、バケモノだった。
そのどちらも死んだと言うのなら、自分はこれから、何として生きればいいのだろうか――。
そう問うた時、神官長は事も無げにこう言い放った。

「何でも良いんじゃありませんか?
 そもそも私だって、自分が何者かなんて分からないんですから。
 自分が誰かなんてことが分からなくても、十分に生きていけます。
 それでもなお答えを出したいのなら――考えるしかありませんね。自分で」

…結局グーレイグはその言葉に従い、バケモノでも少女でもない何かとして生まれ変わった。
おかげで、折角解決したばかりなのに、新たな疑問がまた一つ増えた。
…だがまあ、それは仕方ないのだろう。
疑問は自分が思考する生き物であるかぎり、永遠に途切れぬ宿縁だ。
いつかわかる日まで、その答えは保留としておこう。
そう決めたのが、1年前。
そして今、彼女は友と一緒に、花畑で語り合っている。

「…私は今、何なのか」

「はい?」

「…実を言うと、時間はあるのにあまり考えてないんです」

「そうなんですか?」

意外そうなフォズの声に、ええ、と頷く。

「…正直なところ、どうでもいいとさえ思っています。
 自分が何者かなんて、仮に答えを見つけたとしても、何も変わらない。
 なら、そんなのは死ぬ寸前にでも考えて、今はこの幸福を感じるべきです」

春の日差しに似た、穏やかで優しい笑顔――。

「…それもそうですね」

頷く。
頷きながら、手を差し出す。

「行きましょう、グーレイグさん。
 そろそろ、皆を迎えに行かないと」

微笑み、手を伸ばす。
と、その手が途中でピタリと止まる。

「迎えにって……。フォズ、まさか、皆はまだ――」

「ええ、まだ神殿にいるでしょうね」

「……自分の身分とか、わかってますか?」

「もちろん。ですけど、早くグーレイグに会いたかったものですから」

…友として、喜ぶべきか忠告するべきなのか。
悩むグーレイグの心中を察することなく、フォズが楽しそうに微笑みながら、グーレイグの手を引っ張って行く。

「わ、引っ張らないでくださいよ。
 それに私は、神殿の中には入りませんからね!」

「どうしてですか?」

分かっているはずなのに、くすくすと笑いながらフォズが尋ねる。

「だってカシムさんは親衛隊に入れとかうるさいですし、神官長さんもこれ見 よがしに神官募集中と書かれた紙を見せ付けてきますし…!」

「不満なんですか?」

「不満ではありませんが、嫌です!私より、ネリスさんをスカウトするべきで しょう!?」

「ネリスさんは、病弱ですし…」

「本気の私と、互角に戦ってたじゃないですかっ!!」

そんなことを言い合いながら、花畑の中を、二人の少女が駆けて行く。



――遠い時代。ある春の日の午後――

――3つの墓に植えられた、小さな花が――

――静かに、風に揺れていた――










〜FIN〜















「審判」

大アルカナの二十。
逆位置では離別,挫折,停滞,再起不能,悲しい別れを暗示。
正位置では再会,仲直り,再開,最終的な決断。そして、復活を暗示。