『夢幻卿の皇帝』







……このように、歴史書は彼を暴虐なる未来の帝王であり、悪意の人と説く。
曰く、戦乱を起こして民を疲弊させ、国を崩壊に導こうとした覇王であると。
わざわざ「未来の」と書き記されていたのは、少なくとも歴史の表側では、彼は一度も帝位に就くこともなく、生涯を終えたからである。
その皇帝のことを知らなくとも、ニフリートで語り継がれている物語を知っている者は多いと思う。

――遥か昔、ニフリートには二人の皇子がいた。
  兄の方は優しく理知的で、民からも慕われていたが、弟は残虐で戦を好み
  民からは恐れられていた。

このような冒頭で始まり、やがて兄の皇子は様々な試練を経て最終的には弟を帝位から退けたという、よくあるパターンの昔話である。
この話が今なお語られているのは、この物語が単なる想像のものではないからである。すなわち、この二人の皇子は実在していたのだ。
察している方も多いと思うが、その弟皇子こそが、先に記した人物である。
確かにこの兄弟は実在した人物であり、兄は民から慕われ弟は民から恐れられていた。そして最終的に、兄が帝位を継ぎ、弟が追放されたのは昔話と同じである。
ただ、気になることに、表立った歴史書はともかくとして、闇の部分が書き記された書物にも、その後、弟がどうなったかは記載されていない。
普通ならば、追放された元皇子など王室がもっとも警戒するべき存在である。追放させた後も、その行方を調べさせるのは至極当然のことであろう。
だが、兄皇子が追放した弟の行方を調査させたという記載は一切存在しない。
むしろ、調査を勧めた周囲の意見を切り捨てたと記載された書物もある。
この時、一体何があったのか。
歴史の闇に埋もれる前に、私はそれを知りたい。





「――何だと?」

驚きと、不快感を露にした声。
対して皇子は、どこまでも冷静に言葉を紡ぐ。

「ですから、砦を破壊したのです。
 相手の軍は一万三千、対してこちらの軍は八千。
 砦の装備を踏まえても、不利は明らかでした。
 なので、砦に三千人ほど残した他は、近隣の森で待機、残した三千人も機を 見計らって撤退させました。
 その後、敵軍のほぼ全員が砦内に入り、油断したところを、砦の弱点である 中枢部に設置しておいた爆弾を、火の精霊サラマンドラの力を借りて遠距離 起爆させ、更に霊術士による『大地鳴動』をもって砦を完全に破壊。
 混乱しているところを、四方から攻撃を仕掛けて敵軍を全滅させました。
 砦は崩壊しましたが、兵士の被害は軽微です」

皇子はあくまで淡々と語る。
その口調からは、砦を壊したことへの後悔とか敵軍を無事撤退させたことへの喜びとかの感情は、まるで感じられない。
――気に入らない。
砦を自分に無断で破壊したのも勿論だが、何よりその口調に苛立った。
それだけの大事を成し遂げておきながら、それが当たり前のことのように言い放つのは、自分にとっては最大限の侮辱である。

「兵士の被害などどうでも良い!何故、あの砦を破壊した!?
 あの砦は東諸国に対する重要な防御拠点なのだぞ!」

そうだそうだと、周囲の文官も頷く。
が、皇子は怯むこともなく言った。

「それに関しては、良く理解しております。
 ですが、もしあそこで正面きって戦をすれば砦は奴等の手に渡り、その後の 軍事行動の大きな妨げになるのは明らかです。
 なんとしてもあの砦を彼等に奪われるわけにはいきませんでした。故に、砦 を奪われずかつ最大限のダメージを敵に与える方法を模索した結果、砦を破 壊することで敵軍に大きな被害を与える方法が上策だと判断したのです」

「それでも、ワシに断るのが礼儀であっただろう!」

皇子は、心底呆れたような冷たい眼を向けながら、言い放つ。

「陛下。状況は緊迫しておったのです。
 陛下の返事を待っていれば、砦は敵軍の手に渡り、先程説明したような状況 に陥っていたのですよ?
 そんな緊急事態にまで同意を求める意義が理解できません。
 意義があるというのなら、どうか今ここでご説明下さい」

一礼する。
無論、その言葉に意義などなく、単に自分の意見を感情的に納得できないから無理矢理に発したものだということは承知の上。
そして、彼のような人間では、もう反論できないことも予測済みである。
…まあ、感情的に納得させた上で自分の行動を是とさせる方法もあるが。
とはいえこの男の感情を納得させることこそ、意義のない行動だ。
別段この男を納得させなくとも、大臣の3分の2を納得させればそれで済むことだし、何より、俺はこの男が嫌いだった。

「――く」

皇子の予測どおり、皇帝は言葉につまり、無言のまま退出する。
慌ててその後を追う護衛や大臣を尻目に、皇子は再度一礼をしてから、謁見の間を立ち去った。





……だが、彼の軍師としての才能は並々ならぬものであったことは、不思議なことにあまり知られていない。
彼が暗躍していた時代のニフリートが行った軍事行動は、どれも多大な成果を上げており、後のニフリートの基盤を作ったといっても過言ではない。
事実、ニフリート近隣の諸国もこの時代は表立った戦争は行っていない。
彼を恐れたのではない。彼が相手の経済を疲弊させるように仕向け、戦争を起こしたくても起こせない状況に運んだのだ。
近隣国家も彼の才能を恐れていたようで、その時代のニフリート周辺の諸国の文献には彼の行動が事細かに書き記されていたものや、彼が指揮した軍隊の布陣や策略を参考にしたと思われる兵法本まである。
これは他国が彼に並々ならぬ感心を持っていたことの証明になろう。
もっとも、彼自身、近隣国家のそうした動きは把握していたようで、二重スパイなどを仕立てたり、偽の情報を流すなどして、ここでも彼らを悩ませていたようだが。





「…相変わらずだね、君は」

苦笑を浮かべながら、さも可笑しそうに言う青年。
皇子は少しだけその無表情に驚きを交えながら呟いた。

「――兄上。随分と早いお帰りだな」

「うん。残念なことに、良縁に巡り合えなくてね。
 途中で抜け出してきたんだ」

ニコニコと嬉しそうに笑いながらのたまわる。
…まあ、元から乗り気ではなかったから仕方ないが。

「兄上…諸国の王族が集まっている舞踏会なんだから、一応、最後まで参加し てほしい」

「大丈夫だよ。いつものように、体調不良の演技をしてたから。
 芸は身を助ける、とはまさにこのことだね!」

「勉学を怠惰のために休むという、不純な目的のために習得した芸が?」

横目でじろりと見ながら、冷たく言い放つ。

「昔話はさておき、話を元に戻そう」

「そうだな。この件については後でじっくりと話し合おう」

酷薄な笑みを浮かべる。
その眼は、本気だった。

「できれば忘却の彼方に埋めてほしい」

「却下――で、何が相変わらずなんだ?」

「君と父上の仲だよ。僕としては、もう少し仲良くしてほしいんだけど。
 あ、もちろん母上もね。あの子はそうでもないみたいだけど」

少しだけ悲しそうな表情を浮かべる。

「――それは、兄上が皇位を望んでいないからか?」

それとは対照的に、一切の感情を交えない氷のような表情で応じる。
しかし彼はそれに怯むことなく

「いや、どちらかと言えばもっと根本的な理由かな。
 家族に仲良くしてもらいたいって思うのは当然のことだ」

「……」

「そういう君こそ、父上と仲良くしないのは皇位を蹴るため?」

試すように言う。
弟皇子は一瞬だけ、目を細めた後。

「それもある。が、それだけじゃない」

とだけ言った。
それを聞いた兄皇子は一つ頷いて

「それじゃ、僕は父上の機嫌を直しに行くよ」

「迷惑をかける」

すまなさそうに頭を下げる。

「いいよ。兄弟なんだから」

「王族だけどな」

「…それでもだよ」

それじゃ、と言い残して、兄皇子は城の中へと戻って行った。
それをしばらく眺めた後、彼は何事もなかったかのように素振りを再開した。





……彼が兄皇子と不仲であったかどうかは、未だに明らかになっていない。
文献の中には、そのような情報は一切記載されていなかったのだ。
普通ならば、皇位を巡っての紛争や事件などが起こって然るべきなのだが、彼らの間にはそれが一切なかった。
では仲が良かったのではと考えるのは早計である。
事実、後に兄皇子は弟皇子である彼に対して追放令を出し、事実上、彼と兄弟の縁を切ったのだ。追放でなくとも、彼を無力化する方法はいくつもあったはずである。にもかかわらず、弟皇子の信奉者を押さえつけてまで追放令を発したのは、彼の力を恐れていたからだとも、彼自らがそれを望んでいたからだとも言われているが、やはり定かではない。





「――戦況は完全にこちら側だな」

「ええ、これも将軍の奇策が成功した結果ですね」

世辞か本気か。恐らくは前者だろうが、それでも不愉快になるわけもなく、将軍と呼ばれた初老の男は顔を笑みの形に歪ませた。

「まあな。それにしても、愉快な光景だと思わんか?
 最強と謳われた部隊が、弱小と蔑まれた我が国の尖兵達に成す術もなく倒れ てゆくのだぞ?
 くく、諸侯どもの驚く顔が眼に浮かぶようだ」

「ええ、ええ。そうでしょうとも」

側近はそれに合わせながらも、油断せずに戦場を見やる。
――数の上ならば互角であったが、四方からの奇襲が功を制して、相手の部隊は大きな痛手を受けている。
現在、敵軍は撤退を始めていて、自軍がそれを追撃する形になっている。
これならば負けることはないだろう。
安心して、無能な将軍のご機嫌取りを再開する。

「将軍は、間違いなく天下に名を轟かす名将です」

「――わざわざ出向いて正解だったな」

知らぬ声。咄嗟に二人とも背後を見る。
――そこにいたのは、見知らぬ青年だった。
青銅の鎧と、近衛兵を示す、祖国のシンボルである不死鳥の紋章の入った兜。
だが――

「――何者だ?」

長年培ってきた勘が、この男は危険だと知らせていた。
案の定、男はニヤリと酷薄な笑みを浮かべながら、指を鳴らす。
すると、周囲から、テントの中から、幾人もの近衛兵が、否、近衛兵の姿をした何者かが姿を表す。

「……そんな」

よろり、と。側近が後ずさる。
その顔に浮かぶのは困惑と、絶望。

「どうしたのだ…?おい、どうしたんだ!?
 こいつらは、我が軍の精鋭なのだろう!?」

「精鋭?そんなヤツ、とうの昔に全滅しているぞ」

さらりと言い放つ。
ようやく、事態を悟った将軍の顔に絶望と困惑がよぎった。

「そんな…なら……今までのは…」

「俺の直属である暗殺部隊だ。お前の軍は入れ替わりが激しすぎる。
 実力主義はいいことだが、実力さえあればとっかえひっかえ精鋭軍に組み込 むのはあまり感心しない。色々と面倒があるからな。
 例えば――」

――いつの間にか精鋭軍の大半が、獅子身中の虫になっているとか。
慌てて見回すと、あちらこちらに死骸らしきものが横たわっている。

「既にお前の精鋭軍は制圧した。
 今、お前の配下は隣にいる軍師だけだ。他の邪魔者は全て抹消した」

淡々と語りながら、剣を向ける。
それが合図だったのか、周囲の人間が剣を抜いて二人を囲んだ。

「…さて、時にそこの軍師。
 お前の頭脳は賞賛に値するほど優れたものだ。
 我が軍門に下る気はないか?
 お前ならば、すぐにこの俺の側近まで上り詰めることもできるだろう。
 もちろん、忠誠に殉じるのも選択の一つではあるがな」

どうする?と、眼で問いかけてくる。
軍師は迷うことなく剣を抜き――

「――ぐ、む…!?」

傍らにいた将軍の心臓を貫いた。
驚きに眼を開きながら、将軍は倒れこみ――やがて、動かなくなった。

「…歓迎しよう」 

「はい。貴方様に永遠の服従をお約束します」

恭しく傅く。
――自分でも現金なものだとは思う。
しかし、無能と一緒にのたれ死ぬか、この天才に帰属するかという選択肢を用意されておきながら、わざわざ前者を選ぶ馬鹿はおるまい。

「――では早速、追撃をやめるように通達を…」

「必要ない」

「は?しかし、それでは――」

不思議そうな顔を浮かべる元側近に対し、彼はこう言った。

「死体に通達することに意味はあるまい?
 今頃は、沼の底か魔物の腹の中だ」

ハッとして見る。
兵士達が追撃して行った方向にあるのは、ランフィアの森。
水の精霊の影響が強いのか、じめじめとしていて、いくつもの泥沼が点在しており、また、小型で素早い獣が群れをなして住む危険な土地である。
――特に、先程追撃を開始した兵士達のように、重い装備を背負っているものにとっては、地獄に等しい。
そういえば、かつての敵兵は全員軽装であった。

「…恐れ入りました」

心底敬服しながら、頭を下げる。
――男はそれを、ただただ黙って見つめていた。





……彼についての興味は、未だ絶えることはない。
ここまで皇帝となるに相応しい人物でありながら、何故、皇帝にならなかったのか。あるいは、なれなかったのか。
思うに、それはおそらく彼という完璧な宝玉に入ったほんのわずかな「傷」のためではないだろうか。
記録を見る限りでは、彼の行動はどれもこれも完璧に近かった。
しかし、稀にではあるが、彼は「完璧」とは言い難い行動をとっている。
その原因が何なのかは、今となっては明かされることはないだろう。
しかし、何かしら、彼を「宝玉」でなくした「傷」があったはずなのである。
それを私は、惜しいとは思わない。
むしろ、この傷すらも、彼という宝玉が持つ魅力の一つとなっているのだ。
完璧でないからこそ、生じる魅力とでも表現すべきだろうか。
私と同じ考えを持つ研究家は多く、故に彼は研究家の間で、このような異名をもって呼ばれている――








「皇帝」

大アルカナの四。
正位置では威厳,実行力,統率力,積極性,目的達成を暗示。
逆位置では頑固,過労,無力,過信,独裁的を暗示。