『ten』







七月十日 晴れ

今日は散々な一日でした。
まず最初に教会にやってきたお爺さん。
彼は耳が遠いのか話が中々通じず、やっと聞こえたと思ったら
「何じゃったかのう。忘れてしもうたわ」
…どうやら、ボケが始まっているようでした。
その直後に女の人が来て、お爺さんを宥めながら連れ出しました。
…私には一度たりともはなしかけることなく。
次に来たのは頭を金に染めた若者数人。
こともあろうに、バンドの練習をしたいから貸してくれ、と言いました。
本来ならすぐにでも追い出すべきなのでしょうが、私も慈悲の心があります。ゴスペルであるなら良いと条件を言い渡したら、ゴスペルとは何だ?
と問い返されました。
神に奉げる聖なる音楽だと説明したら、若者達は自分達のもそうだと言い出し
断りもなく演奏を始めました。
……鼓膜が破れるかと思いました。
それは何かと聞いたら、ロックと答えました。
ロックが何かは知りませんが、こんなのを聞いて喜ぶ神もいないでしょう。
私がそう言うと、ロックのカミサマがどうのこうの言っていましたが、すぐにお帰り願いました。
帰り際、では、奥の部屋でやるならば良いかと聞かれましたが、断りました。
あんな騒がしい音楽、教会のどこにいたって本堂まで聞こえてくるでしょう。
渋々帰った後、次に来たのは露出度の高い服を着た若い女性でした。
若い女性がここに来るのは珍しいので、私も喜びました。
…もちろん、純粋に聖職者としての喜びです。
が、彼女は席に座った後、おもむろにビニール袋から取り出した酒を飲み始めそれを私に勧めてきました。
当然、神の前であり、また、職務中でもあるので丁重にお断りしました。
すると彼女はおもむろに私のそばに寄ってきて
「寂しいの…」
と言ってきました。
懺悔でもする気なのかと私が動揺していると、なんと彼女は服を脱ぎ始めたのです!驚いて何とか止めました。
彼女は「いいじゃない、誰も見てないし」などと言っていますが、ここは神様の御前です!そんなことはとてもできません!
暴れまわっているうちに、彼女は糸が切れたように眠ってしまいました。
仕方がないので、奥にある簡素なベッドに寝かせました。
夜になると目を覚まして、丁重に詫びた後に帰って行きましたので、まあ、あの若者達よりはよほど良かったのですが…。
何にせよ、疲れたのでもう寝ます。



七月十一日 雨

今日は週に一度のミサを開く日でしたが、雨のために人はあまり集まりませんでした。
残念ですが、これもまた天意と思って諦めましょう。
ところで今日、いつもここに来る子供達のお母様からパンをもらいました。
聞き覚えはありませんが、池袋とかいうところの有名なパン店らしいです。
ベリーパイがとても美味でした。
たまに遊びに来る近所の子にも食べさせてあげたかったのですが、菓子パンはそれ一つしかありませんでした。
いつか、買ってきて食べさせたいと思います。



七月十二日 曇りのち晴れ

今日は一人の迷える魂を、天へと導きました。
…最近やっていなかったので、ふと思ったのですが、これはいいことなのでしょうか。
確かに医学の発達で、亡くなる人々は大きく減ってきました。この国では食料も豊富なので、餓死する人もほとんどいません。
しかし、その代償なのかもしれませんが、この国の人々は心が潤っていないような気がします。
だからこそ、この間の若者のように、間違った方法で潤いを求めているのかもしれません。正すことも神父である私の役目なのですが、では他にどんな潤いを与えられるかと聞かれると、神への信仰以外に思いつきません。
…ですが、あのような若者達に信仰心を与えるのは難しそうです。
けれど、これも試練なのでしょうね。今度来た時にでも話してみましょう。



七月十三日 晴れ
今日はとても嬉しいことがありました。
昼頃に、若い男性が教会を訪れたのですが、男性は神に祈りを奉げた後、私に向かって「神父になりたいがどうすればいいか」と尋ねてきました。
このような若い方が神父になろうとするのは珍しいことです。私は、自分がやったのと同じ手順を説明しました。その男性は最後まで熱心に聞き、終わった後に丁重に礼を述べて去っていきました。
あのような方が多ければ、世界も安泰なのでしょうか…。
いえ、若い人はエネルギーが有り余ってますから、もしかしたら神への信仰が行き過ぎて、他宗の方を攻撃し始めるかもしれません。
大体、人を愛するはずの神が他者を攻撃せよなどと言うわけがありません。そういうのは、宗教を利用して自分に都合の良いものを作ろうとするお偉い方が勝手に作ったものに決まっています。
神の教えは、とりあえず自分にとって都合の良いものだけ守ればよいのです。
その教えの中で自分の道を見つけ、平和への道を見つけ、神への道を見つけることこそが、本当に相応しい信者の姿なのだと私は思います。
…我ながら神父らしからぬ性格ですが、彼にもそうなってほしいものです。



七月十四日 晴れ
暑いです。猛暑です。新聞によると、本日の最高気温は32度。
我が教会には扇風機はあっても冷房はありません。
しかも、教会に訪れる人はお年寄りが多いので、扇風機は常に私から遠ざけられた位置にあります。加えて、夏用とはいえ法衣のままでは非常に暑いです。あやうく脱水症状を起こしてしまうところでした。
…それなのに、信者達はこぞって私に向かって暑い暑いと文句を言ってきました。それどころか、暑くてたまらないと言って扇風機の首振り機能を止めて自分一人が風に当たろうとする者まで出てきます。
まったく、嘆かわしいことです。その方は襟首を掴んで外に放り出しました。
しかし、やはり暑いのは事実です。
…ここは信者から寄付を募って、我が教会に冷房をつけるべきでしょうか。
しかし、それは天意に反するような気も…。悩むところです。



七月十五日 晴れ

…困りました。日記に書くようなことがほとんどありません。
何せ、本日は一人の参拝者も訪れなかったのですから。
とはいえ、何もしないわけにはいかないので、折角ですから先日買った小説を読むことにしました。
…連続密室殺人を解決するという内容なのですが、村の教会で牧師が死んだという事件が発生したところで読むのをやめました。その後、どこかに私の命を狙う奴がいないかと心配になって教会中を探し回りました。怖かったです。



七月十六日 雨のち曇り

今日は雨が降って退屈なのか、近所の子供達が教会にやってきました。
私としても近頃の子供は勉強だゲームだと、あまり外には出てこなくなったので、こういう機会は大切だと考え、本来の職務の合間に子供達にお菓子を振舞ったり、簡単なパズルやトランプをしたりして、楽しい一時を過ごしました。
おかげで神父としての努めは本日はほとんど果たせませんでしたが、あの子達の笑顔を見ていると、これこそ正しい神父の勤めなのだと思ってしまいます。
人の言うことを守り聞くだけでなく、自分でその意味を汲み取り、どうするべきかを考え、行動することが大切だと私は考えています。
神の道についても同じ事。私は神を信じますが、神の奴隷になった覚えはありません。ですからやはり今までと同じように、自分で考えたうえで行動するのでしょう。



七月十七日 曇り

どうやら私も、神の元へ行く時が来たようです。
1週間前からその予兆は会ったのですが…教会を休むわけにも行かず、誰にも話すわけには行かなかったので、この日記にしか書き記せませんでした。
生憎文は苦手で、状態が状態なので、まともに書き記すことはできません。
なので、最後に私は思ったままのことを書き連ねたいと思います。
私は今まで神父として生活してきました。規範通りではありませんが自分の信念を貫き、神の教えを貫いてきたつもりです。神は私を地獄に送るでしょうか?それとも天国に送るのでしょうか?そのどちらでもかまいません。私は幸せですし、地獄に堕ちても無へと還っても神を信じるでしょう。
日記によれば10年前の昨日。子供達がこの教会に遊びに来まていました。あの時の子供たちは今、どうしているでしょうか。
どうしているかと言えば、日記によると70年前の1週間前に訪れた若者達はあれから彼等の道で活躍したのでしょうか。それとも、別の道を見つけたのでしょうか。あの時は若かったので迷惑としか思えませんでしたが、今となっては気がかりです。
気がかりと言えば、日記によれば40年前の4日前に訪れた神父志願の青年。あれから無事神父になったと報告に来てくれましたが、今は何をしているのでしょうか。幸せに生きていると良いのですが…。
…ああ、私は幸せです。神様。
こんなにいろいろな人のことを想うことができ、思い出すことができ、その記憶を思い出しながらあなたの元へ行くことができるのですから。
きっと私は、世界一幸福なのでしょう。
それも神様、その半分があなたのおかげです。
私は十分に幸せに生きました。
今、あなたの元へ向かいます。








七月十八日 晴れ

最後の最後で法則を破ります。
この日記を読んでいる方、さようなら。
いつか、またどこかでお会いする日まで。








「法王」

大アルカナの五。
正位置では共感,慈愛,包容力,広い視野,温もりを暗示。
逆位置では誤解,不安,悩み,自己完結,落ち着きのない心を暗示。