「神が存在しないならば、私が神である」
――フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー――







少女は、青年に丁重にお礼を言った後、指し示された方向へと進んで行った。
果て無き草原の先に何が待つのかを知ることもなく、少女は歩き続ける。
やがて、少女は遠方にいくつかの影が動いているのを見つけた。
その影こそが、先の青年が言っていた人々か。
少女は急ぎ足で近づいた。

「どうですか?降参しますか?」

「戯けるな、ロキ!私を誰だと思っているのだ!」

「もちろん。知恵の神たるオーディン様ございます。
 しかし、知識だけあっても何の役にも立ちますまい。
 それを生かす知恵あってこその知識です」

「ええい……!!」

人影のうち二つ――オーディン、と呼ばれた白髪の老人と、ロキと呼ばれたシニカルな雰囲気を漂わせた美青年――が、何かを言い争っている。

「あの、少々お尋ねしたいことがあるのですが…」

「後にせい!今、立て込んでいるのが分からぬか!」

オーディンと呼ばれた老人に怒鳴られ、思わず竦んでしまう少女。
と、ロキと呼ばれた青年が、薄ら笑いを浮かべながらオーディンをなだめる。

「まあまあ、オーディン様。八つ当たりは良くありませんよ。
 …それより、お嬢ちゃん。私達に何か用かな?」

青年が優しく尋ねる。少女は内心ほっとしながら、言った。

「私は自分の世界へ帰りたいんですが、どうすれば良いのでしょうか。
 先程、青年に会いまして、こちらにいる方に頼めば何とかしてくれる、と」

「……だそうですが。助けてやらないんですか?オーディン様」

「断る。今、私は忙しいのだ」

苛立ちを隠さずに、オーディンはそう言い放った。
ロキはくつくつと嫌な笑みを零しながら、

「…お嬢ちゃん。すまないが知恵の神にして偉大なる最高神オーディン様は、 私ごときが出した問題一つを解くのに一生懸命で、いたいけな少女のその程 度のお願いすら聞く余裕はないそうだ。
 1000年経ったらまた来るといい。
 もしかしたら少しは余裕ができているかもしれないからな」

ずけずけと、そんなことをのたまった。
が、オーディンは聞いていないのか本当に余裕がないのか、その言葉に反応することはない。
と、少女が眉を潜めた。

「あちらにいらっしゃる方は、神様なのですか?」

ロキは大きく頷いて

「まあね。ま、俺…いや失礼。私もそうだけどな。私は愛多き神、ロキ様だ。
 ところでお嬢さん、良く見たら可愛いね。
 どうだい?神様と一時の夢を楽しんで見る気はないかい?」

にやりと笑って、そんなことを告げた。
が、少女は意味がわからないのか小首を傾げる。
傾げてから、しまったと小声で呟いて、跪く。

「ありがたいお申し出なのですが、私は急いでいる身なので遠慮します。
 ロキ神よ。あなたがオーディン神にだしたという問題を、私が解く許可をど うかお与え願えませんか?」

「ん?私は一向に構わないよ。
 ねえ、オーディン様。こちらのお嬢さんに手伝ってもらっては?」

「……いいだろう。解いてみろ」

先の会話を聞いていたのか。
いつの間にかオーディン神は少女の方に向き直っている。

「お慈悲に感謝します。
 …では、オーディン神。こちらの約束事はご存知でしょうか?」 

「無論だ。一つの質問につき一つの解答。これは私にも適用される」

「そうですか。安心しました。
 それではロキ神。問題をお願いします」

ロキ神はニヤリ、と哂いながら、その【質問】を告げた。

「まず、ここにいる奴等を見てみろ」

ロキ神が指差した方向を見ると、様々なものがそこにあった。
人や動物の姿もあったが、動いておらず「生きている」という感じがしない。
それらは、真ん中に引かれた一本の線によって区分されていた。
線からむかって左にあるのは熊、犬、老人、そして禍々しい「何か」
右には祈りを奉げている女性、雉、一冊の本、そして黄金の指輪がある。

「こいつらは、ある法則にしたがって区分けされている。
 すなわち、あるものが「ある」か「ない」か。
 その「あるもの」とは何だ?」

「何だか解らないものもいくつかあるのですが…」

「ああ、大丈夫だ。ここに紙があるだろう?
 これが今回の「ある法則にしたがって並べられたもの」の一覧だ」

そう言って、ロキ神は羊皮紙を少女に渡した。
そこにはこう書かれていた。

   ある           ない

   イヌ           キジ
   呪い           指輪
   祈り           信仰
   老人           物語


「ハンデとして、君にはヒントをあげようか。
 そうだな……「薙刀」にあって「脇差」にはないな。
 それと「バカ」にあって「秀才」にはない。
 「力」にあって「知恵」にもないな」

「…「十」にあって「一」にもありませんよね?」

「お」

「それに『七転八倒』にあって『臥薪嘗胆』にありません。
 そう言えば、『オーディン神』にあって『ロキ神』にはありませんね」

「はははは!上手い上手い。――どうやら、お嬢さんは解ったみたいだな」

「むぅ……」

「おや、まだ解りませんか?オーディン様。
 ……ああ、そうでしたそうでした。
 オーディン様は極東の国のことを良く知らなかったんでしたっけ?
 それにしてもお嬢さん、良くご存知で」

「いえ、何故か頭にその知識が入っていたんです」

「ほー…影響、出てるのかねぇ」

「はい?」

「いや何でもない。それよりオーディン様。
 解けたんだからこの娘を元の世界に返してやってくださいよ」

「まずは答えだ」

「はい。この問題の答えは――」

「オーディン様?まさかとは思いますけど、質問してないから答える義務もな いとか何とかいって、逃げる気はありませんよね?」

「……」

「やっぱりな。そんなこったろうと思った。
 止めときな、お嬢さん。この方は何にも答えちゃくんないよ」

「そんな……あ!」

オーディン神は、鷹に変身してどこかへと飛び去っていった。
がっくりとうなだれた少女に、ロキ神が優しく声をかける。

「お嬢さん。そう落ち込むな。私に聞けばいいだろう?」

「……では、質問を――」

「もうしただろう?『ここに何しにきたのか?』って」

「あ……」

「…質問は?」

「はい。私を、元の世界に戻す方法は?」

「俺の力で戻せる。なんたって神だからな。そうそう不可能は…ない!」

ニヤリと笑うと、ロキ神は少女の手を取り、軽く口付けをした。
突然のことに驚く少女に向かって、ロキは優しい笑みを浮かべると

「それでは、お嬢さん。また会う日まで御機嫌よう。
 ――あなたにとっては、永遠に会わないほうが幸運なのでしょうが」

そう言うや否や。
草原が。ロキ神が。世界が。徐々に薄れては消えていく。
それはまるで水泡のように。泡沫の夢のように。
偽りの世界は消え、そして少女の世界が再生される。



――――やがて、少女は目を覚ました。

「……」

夢は見なかった。
と、思う。







――それでは、そろそろ幕引きと行こうか。
――解答はこの下だ。簡単に諦めるんじゃねえぞ。























―――すまんな。兄貴は口が悪くて―――
















――解答――

それじゃあ、解答を始めようか。
短い間だけど、よろしくな。
まず、ロキが言った『極東の国』ってのはヒントだぜ。
『極東の国』とは『日本』のことだ。
そして『こと』とは『言』つまり『言語』だ。

この問題は日本の言語を知っている者だけが解ける問題なんだ。
それともう一つ。この問題、「見る」ことが必要なんだぜ。
最初にロキが提出した羊皮紙に書かれた言葉が全て「二文字」だったのは、別に見た目を良くしようと思ってのことじゃない。
…まあ、あのかっこつけなら考えられなくもねえけどよ。
…それもそうだな。ま、とりあえず回答を続けようぜ、兄貴。

まず、『ある』の欄から短い言葉を集めてみな。
『イヌ』『呪い』『祈り』『老人』『薙刀』『バカ』『力』『十』
…これら全てに共通すること、そろそろ理解したか?
「言葉」の意味は考えるなよ。それこそ意味のねえこった。
さっきも言ったが、「見る」ことが重要なんだ。
つまり「言葉」じゃなくて「文字」が問題なんだな。
「ある」の欄に書かれた漢字の中には、いくつか「簡単に書けるもの」があるだろ?例えば『七』『刀』『力』『十』…とかな。
じゃあ、何でそれが簡単にかけるかを説明できるか?
…画数が、少ねえからじゃねえのか?
たったの二画だ。他の文字もそうだろ?
『イ』『い』『り』『人』『刀』『カ』『力』『十』『七』『ィ』『ン』
これは全部、2画で書ける字だ。
――そう。これこそが「共通点」だ。



…さて、この世界もそろそろ終わりだな、兄貴。
ああ。本当はロキのヤロウをとっちめてやりたかったが…。
無理だよ兄貴、俺達はシグルスを介して殺しあうだけの存在さ。
…まったく、悲しいもんだな。台本ってのが憎いぜ。
……お、終わりが始まったみたいだな。
ああ。
兄貴、どうせ今回はアドリブなんだ。何か言ってやれよ。
…そうだな。それじゃ、俺の好きなこの台詞を――



友よ拍手を!喜劇は、終わった

――ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン――