「彼女は、今でも明けない夜を待つ」
――『千夜万景』――







暗い道を、女性は黒衣の男と共に進んで行く。

「……」

「……」

二人の間に、会話はない。
もっと言えば、先程の問答が終わった後、女性は何も言わずに歩き出した。
これ以上、話すことは何もないと思ったのだろう。
黒衣の男もそう感じたのか、沈黙したまま、狭い道を譲った。
――そして、女性の後ろを歩き始めた。それが当然であるかのように。
女性のも何も言わなかったところを見ると、あるいは、予感――否、確信を持っていたのだろうか。

「……ついたぞ」

「ああ。終着点だ」

やがて、二人は一つの部屋に辿り着いた。
あちらこちらにひび割れが走った、死の臭いを漂わせる部屋に。

「――」

一応、家具は一通り揃っている。
ベットに、本棚に、箪笥に、新鮮な食料の入った箱。
しかし、そのどれもが例外なくひび割れている。
…まるで、この部屋に殉じようとするかのように。

「……おい、向こうを見てみろ」

黒衣の男が指差した方向を、視る。
――そこにいたのは、一人の少女だった。

「……」

少女は何も語らない。ただ、壊れた窓から「外」を眺めているだけだ。

「――」

「外」には――何もない。大地も、空も、闇も、光も。
そこには、あらゆるものが存在していなかった。
これが、世界の始まる以前――あるいは、終末の先なのだろうか。

「…おい」

少女は、呼びかけに応えない。
視もしない。感じもしない。
…理由は、すぐに解った。

「――壊れている」

かつての自分のように、少女は壊れていた。
しかも、かつての自分とは違って、決して修復することのできないくらいに。
――砕け散った硝子のカップ――
女性は、少女をそれに似た存在なのだと感じた。

「…そうだな。最初から壊れている。
 壊れることを望まれ、望まれた通りに在る存在だ」

「……連れて帰るわけには」

「無理だな。この「部屋」は、こいつの「世界」だ。
 ――いや、むしろこの「世界」そのものか」

「……?」

「ともかく、連れて帰れないし、そうしない方が良い。
 こいつにとっても、お前にとっても。それが一番幸福だ」

「……解った」

どこか悲しそうな目をしながら、女性は素直に頷いた。

「――さて、ところでそろそろ始まるぞ」

窓の外を眺めながら、黒衣の男はそんなことを言った。

「何がだ」

「――終わりが」

瞬間。
世界が、崩れた。

「――!?」

部屋は何も変わらない。
崩れるどころか、僅かな揺れすら起こっていない。
それなのに。
世界が徐々に崩れているのだと、理解した。

「…そして、終わってまた始まる」

黒衣の男が、謳うように言う。

「始まりは終わり、終わりは始まり。
 永劫無限に続く終末の輪廻。再開する永遠。
 世界は崩れ、そこに在るものは例外なくその輪に組み込まれる」

「――どうすればいい!」

「――何がだ?」

からかうような笑みを浮かべながら、しかし黒衣の男は真摯な目で聞き返す。
女性は、必死の形相で叫んだ。

「どうすれば、私の世界に戻れるんですか…!?」

「…それはそこの娘に聞けよ。俺には「解答」することはできない」

硝子の娘を視る。
視線は未だ窓の外。何一つ見ていない。何一つ聞いていない。
――けれど、彼女は何かを小声で口ずさんでいた。

「……?」

近づき、聞き耳を立てる。
……よほどの小声なのか、それとも焦っているからなのか、聞き取れない。

「――お願いです。私の世界に帰る方法を、教えてください!」

「……」

硝子の娘は、視ていない。聞いていない。感じてもいない。
けれど、女性は必死に訴え続ける。

「私は……私には、帰らなければならない場所があります。
 出さなければならない答えがあります!
 守らなければならないものが、あるんです!
 私は――!」

「……」

硝子の娘は、視ていない。聞いていない。感じてもいない。
永遠に変わらない。硝子細工は壊れている。
二度と戻ることもなければ、直す意味もない。
だから、何も変わるはずがない。
――そのはず、だった。

「……」

「え…?」

声が、少し大きくなった。
聞き耳を立てる。
…ようやく、何を言っているのかが解った。

「最後の【質問】をしようか。
 ――お前の世界に帰る、その方法は如何に――
 答えられなければ、待つのは無限だ」

黒衣の男が、そんなことを言った。
女性はこくりと大きく頷いて、再び聞き耳を立てる。
硝子の少女は――こんな詩を、口ずさんでいた。

「飛べない小鳥は堕ち果てて――
 びくの魚は乾きに飢える――
 込身先を紅に染めよう――
 メフィストフェレスに魅せられて――
 窓を閉ざして錠をかける――
 のろのろと、私の中の時が止まる――
 外は遥か寒々と――
 側にあるのは破滅だけ――
 へしあう人々、大地にひしめく――」

ここで一旦区切り、そして新たな詩を口ずさむ。

「まだ、救いは訪れない――
 どうしてなのかと尋ねても――
 のたうち回っても救いはあらず――
 外には死と荒野の香り――
 ハデスの国へ逝きたいけれど――
 あの空は私を拒み続ける――
 なぜ、どうして私を拒むのですか――
 ただ、それだけを空に尋ねる――
 のたりのたりと雲が這う――
 セラフィムは艶やかに呪いを唄い――
 カラダが壊れる、ココロが朽ちる――
 イノチの重みで崩れ去る――」

「……」

考え込む。この詩に、どんな意味が込められているのだろうか。
と、黒衣の男が呼びかけた。

「おい。一つ、アドバイスをくれてやろうか」

「お願いします」

「――空を視ろ。そうすれば、全てが解る」

再び、考え込む。
目を瞑り、心を内界へと沈めていく――
……やがて、女性は目を開いた。

「解けたのか」

「はい。おかげさまで」

「……そうか。なら、そうするがいい」

「ええ。――ありがとうございました。またいつか会いましょうね」

意味ありげに微笑む。黒衣の男は眉を潜めながら苦笑を浮かべ――

「…そんなことを言われたのは2度目だ。ありがとう。楽しかったよ。
 俺としては、未来永劫あんたに会いたくないがな」

「そうでしょうか。私は、あなただといいな、って思っているんですけれど」

「……そうか。まあ、その時になったら探してみるといい」

「そうします」

くすりと笑い、女性は硝子の少女に近づいた。
――気付けば。
詩は、とっくの昔に止んでいた。

「――ありがとう。助かりました。
 それから、ごめんなさい。あなたを、救えなかった」

硝子の少女は、無言。何も変わらないままだった。
それでも女性は、訴え続ける。

「…これがあなたの幸せなら、私は何もしません。
 けれど、もし良ければ。私と一緒に行きませんか?
 ――もしかしたら、もっと良いものが見つけられるかもしれませんよ?」

「……」

やはり、硝子の少女は何も変わらなかった。
女性はしばらくの間、硝子の少女をじっと見つめていたが、やがて、意を決したように、詩に従って――――世界から、消えた。

「……行ったか。いや、逝ったのか?
 まあ、どちらでもいい。これで、俺の『役割』も終わりだ。
 おいおい、還るべきところに還るのだろうよ」

声だけが、聞こえる。
その姿は――もう、どこにもなかった。

「じゃあな。あんたともお別れだ。
 いつかあんたの元に訪れるのが俺であることを――心の底から、願う」

声が消え、存在すらも消え去った。
残るのは硝子の少女の世界だけ。
……滅び去る宿命を負った、崩れるための世界だけ。
硝子の少女は、未だ、空だけを見つめていた。

「あらゆる痛みに別れを告げて――
 リュックサックに思い出つめて――
 ガイアの息吹を心に宿して――
 トンネルの向こうへ行きましょう――
 ウタカタのユメは、今宵、始まる――
 さあ、穢れた理想郷へ往きましょう――
 ようこそ、終わらぬ命の国へ――
 うすづく世界に別れを告げて――
 ナイフは置いて、花束を持って――
 ラクエンへと逝きましょう――」

口ずさむ詩に。どんな意味が込められていたのか。
――やがて、世界が、終わりを、告げる。







――さあ、僕等も終わりにしようか。
――この世界から、抜け出さないと。























―――まずは問題を解こう。全てはそこからだ―――
















――解答――

問題となっている詩をまとめてみよう。

「飛べない小鳥は堕ち果てて――
 びくの魚は乾きに飢える――
 込身先を紅に染めよう――
 メフィストフェレスに魅せられて――
 窓を閉ざして錠をかける――
 のろのろと、私の中の時が止まる――
 外は遥か寒々と――
 側にあるのは破滅だけ――
 へしあう人々、大地にひしめく――」

ここで一旦区切られ、次の詩。

「まだ、救いは訪れない――
 どうしてなのかと尋ねても――
 のたうち回っても救いはあらず――
 外には死と荒野の香り――
 ハデスの国へ逝きたいけれど――
 あの空は私を拒み続ける――
 なぜ、どうして私を拒むのですか――
 ただ、ひたすらに天へと尋ねるけれど――
 のたりのたりと雲が這うだけ――
 セラフィムは艶やかに呪いを唄い――
 カラダが壊れる、ココロが朽ちる――
 イノチの重みで崩れ去る――」

そして、彼のヒント。
「空を視ろ」

…空は大抵において、上に在る。
つまり彼は「上を見ろ」と言っているのだろう。
上。つまり、詩の最初の一文字を見てみよう。
まずは最初の詩から。

「飛」べない小鳥は堕ち果てて――

続いて、2行目。

「び」くの魚は乾きに飢える――

そして、残り全部。
「込」身先を紅に染めよう――
「メ」フィストフェレスに魅せられて――
「窓」を閉ざして錠をかける――
「の」ろのろと、私の中の時が止まる――
「外」は遥か寒々と――
「側」にあるのは破滅だけ――
「へ」しあう人々、大地にひしめく――」

繋げると――
「飛び込メ窓の外側へ」→「飛び込め窓の外側へ」
となる。

では、次は2つ目の詩だ。

「ま」だ、救いは訪れない――
「ど」うしてなのかと尋ねても――
「の」たうち回れど救いはあらず――
「外」には死と荒野の香り――
「ハ」デスの国へ逝きたいけれど――
「あ」の空は私を拒み続ける――
「な」ぜ、どうして私を拒むのですか――
「た」ひたすらに天へと尋ねるけれど――
「の」たりのたりと雲が這うだけ――
「セ」ラフィムは艶やかに呪いを唄い――
「カ」ラダが壊れる、ココロが朽ちる――
「イ」ノチの重みで崩れ去る――」

繋げると――
「まどの外ハあなたのセカイ」→「窓の外はあなたの世界」
となる。

二つの文を繋げると――
「飛び込め窓の外側へ。窓の外はあなたの世界」
質問は、この世界から脱出する方法だったから
「窓の外に飛び込む」
これが、解答だ。



――おや、無事に出られたようだな。
――ということは、正解だったか。
――ん?最後に一つ詩が残っている、って?
――…それは、我々に宛てられたものではないからな。
――解読する必要は、ないと思うよ
――それでは、さようなら。
――いつかどこかで、また会おう。
――最後に、この言葉を遺しておこうか。





明日へようこそ!

――『鴉と兎』――