「人間は他人の経験を利用するという特殊な能力をもった動物である」
――コリンウッド――







そこには、どこまでも続く草原だけが在った。
音もなく、風もなく、太陽もなく、大地も影も、命すらない。
そこには、原初の大海を思わせる草原しかなかった。

――ある瞬間。唐突に、その均衡が崩れ去った。

無限に続く草原の中に、小さな光の球が生まれる。
球は段々と大きくなり、やがてぱちん、という音と共に弾け――

「……あれ?ここはどこでしょう??」

その後には、一人の少女がいた。
歳は恐らく10代の前半。
奇妙な形状の帽子を被り、法衣のようなものを纏っている。
不安そうに辺りを見回しながらも、何とか現状を把握しようと努めている。
その様子からは、見た目に似合わぬ落ち着きを感じる。

「――また、呼ばれたんでしょうか」

問いかけるような独り言。
けれど、答えは返ってこない。
少女はふぅ、と溜息を一つつくと。

「…仕方ありません。把握はできませんが、とりあえず行きますよ」

そう言うと、何故か足元を慎重に確かめながら、少女はゆっくりと草原を歩んで行った。







「――ここは?」

城の一室で、その女性は目覚めた。
石造りの壁には所々亀裂が走り、今にも壊れそうである。
女性が目覚めた場所の近くの床に、腐り落ちた扉があった。

「…見覚えのない場所だな。旅の扉と言うヤツか?」

自問自答するが、答えは出ない。
これ以上ここにいても無駄と判断した女性は、服を叩きながら立ち上がった。

「――まあいい。見つけて聞けばすむことだ」

指を鳴らしながら、女性はそんなことを言った。
そして、腐った扉を跨いで、部屋から出る。
――ここがどんな場所なのかも、知らないままに。







暗い暗い森の中を、二人の人影が進む。
人影の片方は理知的そうな顔立ちの若い男。
白色の法衣を纏い、杖をつきながら歩いている。
もう片方は幼い顔立ちの、これまた若いであろう女性。
片方と同じような白い法衣を纏っている。

「神官長…」

男の服に掴まりながら、女性がか細い声を上げる。
が、男は呆れたような目つきをしながら

「何ですか。しっかりなさい」

「まだですか?もう、随分と歩いているような気がするんですけど」

神官長と呼ばれた男は首を横に振るった。

「まだです。まだ10分も歩いていませんよ」

「え〜ん…」

「泣き真似はおやめなさい」

キッパリと言いながら、神官長は歩み続ける。
その裾に、神官を貼り付けながら。







厳かな静寂に満ちた神殿の中。
一人の男が、慌てた形相で駆け抜けている。
…やがて男は祭壇らしき場所まで辿り着く。
そこには、既に先客がいた。

「…そっちはいたか?」

騎士らしい男が、先に来ていた女剣士に声をかける。

「いいえ。誰もいないわ」

女剣士が首を横に振るう。

「畜生め…どうして、誰もいないんだ…!?
 どうして、出口がどこにもないんだ!?」

「…とにかく、探してみましょう。今度は手分けせずに、二人でじっくりと。
 もしかしたら、見逃した所があるのかもしれないし」

「…そうだな。焦っても仕方ないか」

そして、二人並んで長い階段を下りる。
二人にとっては『この祭壇から降りるための通路』という認識しかない。
それはさほど重要なものではない。
…けれど彼らは、気付いているのだろうか?
彼らが目を背けている間。階段が『成長』しているという事実に。










――かくして。語られざる「物語」が始まった――